11人の子を産む

 チエと湊の間には、11人の子が誕生した。

 だが、育ったのは、安政5年(1858)2月14日生まれの長男とされる氏太郎、万延元年(1860)9月4日生まれの長女・スエ、慶応2年(1866)6月19日生まれの次男・武松、慶応4年(1868)2月4日生まれの次女・セツ、明治3年(1870)に生まれた三男・藤三郎、明治11年(1878)に生まれた四男・千代之助の6人のみだった。

 次女・セツは、ドラマのトキが松野家の養女となったように、生まれて8日目に小泉家の縁戚である稲垣金十郎・トミ夫妻の養女に迎えられている。

 このようにチエはたくさんの子宝に恵まれたが、小泉一雄によれば、子どもたちの世話は、乳母や女中に任せきりだったようである。

 本好きのチエは、細い肩に綺麗な打ち掛けを引っかけて、脇息にもたれ、終日、読書を楽しんだという(小泉一雄「亡き母を語る 父八雲の協力者として」 根岸磐井編著『出雲における小泉八雲 再改訂増補第10版』所収)。

 セツが物語好きなのは、この実母の趣味を受け継いだのかもしれない。

夫が機織会社を興す

 明治維新後、チエの夫・小泉湊は、家禄を奉還して得た資金などをもとに機織会社を興し、士族の子女を雇って機を織らせている。

 生産した反物は、大阪方面で売りさばいたという。

 一方、セツの養家である稲垣家も事業を興したが、失敗に終わった。

 小泉一雄『父小泉八雲』には、セツの養父・稲垣金十郎は、「詐欺に遭った上に、詐欺の相手から無実の罪を着せられた。数年後には青天白日の身となるも、裁判費用で全財産を失い、日々の生活費にも事欠く有様になった」と記されている。

 稲垣家の没落により、セツは明治12年(1879)、11歳の年に、義務教育である小学校下等教科を卒業した後に、実父・湊の会社で機織りの仕事に就いて、家計を支えた。

 この頃、セツは小泉家に出入りしており、チエはセツに良家の子女としての嗜みや立ち振る舞いを教えたという(工藤美代子『神々の国 ラフカディオ・ハーンの生涯 【日本編】』)。