続く不幸

 はじめは順調だった湊の機織会社だが、やがて他の士族の機織会社と同様に、最終的には倒産している。

 そのため小泉家は、以前は家臣を住まわせていた門長屋(武家屋敷などの前面に造った、家臣などの住居用の長屋)に住まいを移さねばならなくなった。

 やがてそこも追われ、松江市母衣町の縁者のもとに一家で身を寄せた後に、明治19年(1886)7月には殿町の縁者の家に同居させて貰うまでに没落している(長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』)。

 チエの不幸は、これだけではなかった。

 明治19年1月には次男・武松が、19歳の若さでこの世を去っている。

 くわえて、夫・湊はリューマチを患い、病床に伏した。

 チエは病人の看護が上手でなかったらしく、セツが見舞うと、湊は死の床で感謝の言葉を繰り返したという(小泉一雄『父小泉八雲』)。

 さらに、長男・氏太郎は町家の娘と出奔し、行方不明。

 四男・千代之助は片江村の岩見家の養嗣子となって家を出ており(長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』)、三男・藤三郎が小泉家に残った唯一の男子だった。

 ところが、藤三郎は働く意欲がなく、小鳥の飼育に夢中だった。

 湊は病を押して、そんな藤三郎に「腐れ根性を打ちすえる」と、馬用の鞭を滅多打ちに振るった後に病状が悪化し、明治20年(1887)5月30日、50歳で亡くなった。

 没落はしたものの、湊は妻子たちを不自由なく食べさせ、借金は一文も抱えなかったという。

 そんな夫を失ったチエには、悲惨な生活が待っていた。