幻の「立維国3党連立政権」がもたらしたもの

 新自由主義に席巻された政治の方向性を転換し「自己責任の社会から支え合いの社会へ」を掲げて結党した立憲民主党は、穏健保守から穏健リベラルまでを包含する政治勢力だ。「身を切る改革」を掲げ「公」の役割の縮小に突き進んできた、新自由主義そのものの日本維新の会は、立憲とは目指す社会のありようが真逆だと言っていい。

 極論すれば、野党第1党の立憲と第2党の維新との間に、現在の政界の対立軸があったわけだ。にもかかわらず、メディアなどの外野からは「自民党に対抗できる政治勢力となるために、野党はまとまれ」という圧力が延々とかかり続け、まとまれなければ「野党第1党たる立憲の責任」と批判されてきた。

 外野の気楽な「野党まとまれ」論は、立憲にとっても維新にとっても、さぞ迷惑だったろう。

 目指す社会の方向が真逆な政党を無理やり一つにまとめても、一体何を「旗印」にして自公政権と戦えば良いのか分からない。一方で前述したように、自公政権の方も政権全体の「旗印」が見えない。私たちは国政選挙で、一体何を選ばされているのか……。

 公明党の連立離脱で、この状況が突然動いた。立憲、維新、国民民主党の野党3党がまとまれば、首相指名選挙で野党側が勝てる可能性が生まれたのだ。立憲は安住淳幹事長を中心に、維新と国民民主の取りまとめに向け、猛烈に動き出す。

 一方、高市首相の誕生どころか、野党転落の危機に突然見舞われた自民党も、必死で野党側に手を伸ばす。結果として維新が与党に釣られる形となり、冒頭に述べた「与野党のパートナーチェンジ」が起きた。

 筆者は野党側の動きについて、やや冷めた思いで見ていた。
 
 確かに前代未聞の大政局だ。自民党から政権を奪うチャンスでもあった。だが、前述したように立憲と維新の目指す社会の方向性は真逆だ。立憲と同様かつての民主党から生まれた国民民主党も、立憲とかなり近い政策を持ちながら、玉木雄一郎代表らは立憲の「逆張り」による党勢拡大にかじを切っており、まとまる可能性は皆無に等しい。この3党による連立政権に、どれほどの意味があるのだろうか。

高市早苗首相のあいさつを受ける国民民主・玉木雄一郎代表(写真:UPI/アフロ)