『さらば宇宙戦艦ヤマト』伝説のラストシーン
「描く人、安彦良和」展示風景
虫プロは1973年に倒産するが(77年に新会社として再建)、安彦は虫プロの有志社員が設立したアニメ制作会社・創映社の仕事を手がけるようになる。『勇者ライディーン』に企画段階から関わり、創映社のオリジナル作品第1弾『無敵超人ザンボット3』ではキャラクターデザインを担当した。さらに虫プロでプロデューサーを務めていた西崎義展が企画した『宇宙戦艦ヤマト』の制作にも参加。安彦は当初、絵コンテを担当していたが、西崎の目にとまり、主要スタッフのひとりとして重用される。
「テレビアニメの『宇宙戦艦ヤマト』は大ヒットし、その後映画化。劇場版アニメ第2弾『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』では絵コンテだけでなく、西崎さんから命じられて古代進と森雪のラストシーンやポスターの原画も描きました。コンテを作画しながら、重要なシーンの原画も描くのは、とても大変な作業でした」(安彦さん)
当時まだ30代はじめの安彦が描いたラストシーンの原画は、アニメ界の伝説のひとつになった。西崎が安彦の原画にほれ込み、映画版では「このシーンは一切の変更を認めない」と厳命を下したという逸話が残されている。