期待値がポジティブであればどんなリスクも正当化

 文庫版で追加されたあとがきには、SBFの元恋人でありアラメダ・リサーチCEOだったキャロライン・エリソンの証言が引用されている。彼女によれば、SBFは「リスク中立(risk neutral)」な人間だった。

 彼(SBF)は、自分が真にリスクに中立であると説明していました。ほとんどの人はリスク回避的、つまり冒す必要がないリスクは冒さない、あるいはリスクを避けようとするというのです。しかし彼は、EV(期待値)がポジティブだと自分が判断している限り、リスクを冒すことはまったく気にならないと言いました。

(中略)

 (SBFは)コインを投げて裏が出たら世界が破滅してしまうというような賭けでも、表が出たら世界が今の2倍以上良くなるのであれば、そのコイン投げに喜んで参加すると言っていました。

 顧客の資金を勝手に運用することも、人類滅亡のリスクを負うことも、計算上で「期待値がプラス」になっていれば正当化される。そう考えて、実際に行動までしてしまうのが、SBFという人物というわけだ。

 この異常性は、彼のドナルド・トランプに対する行動にも表れている。本書によれば、SBFは2022年、密かにトランプ陣営との接触を図っていた。目的は、トランプが大統領選に出馬しないよう説得すること。SBFのチームが弾き出した「価格」は衝撃的だった。

 また彼(SBF)は、プライベートジェットがワシントンDCに向かって降下している間に、別のプランも進めていると私に説明した。ドナルド・トランプ本人に立候補を断念させるよう、彼にその対価を払うことの合法性について調べていたのだ。彼のチームは水面下でトランプ陣営とのコネをつくり、ドナルド・トランプが50億ドルでその申し出を受けるかもしれないという、さほど衝撃的とは言えない情報を持って帰ってきた。

 SBFは、人類の存亡に関わるリスク(パンデミックや民主主義の崩壊)を防ぐためには、50億ドル(約7500億円)を支払ってでも、トランプを政治の舞台から退場させることが「期待値としてプラス」だと計算していたというのだ。彼の異常な思考回路が、ここでも如実に表れている。

 現在、トランプ大統領が仮想通貨業界を強力に後押ししていることに、違和感を持つ人は少なくないだろう。かつてトランプ大統領は、ビットコインに不信感を示していた。2021年6月、彼はFOXビジネスのインタビューにおいて、ビットコインのことを「詐欺のようだ(It just seems like a scam)」と評していたのである

 その彼が、なぜこれほど業界に接近するようになったのか。彼はSBFとの「ディール(取引)」に向けたやり取りを通じて、仮想通貨業界はイデオロギーや技術革新の対象ではなく、純粋な「ディール」の相手になり得ると確信したのかもしれない。

 だとすれば、現在のトランプ政権による仮想通貨優遇策がいかに不安定な土台の上にあるかがよく分かる。そこにあるのは産業育成ではなく、「最も高く買う者に応える」という脆い構造だ。