「ネットニュースなんてそんなものだ」
伝統的に、新聞社という組織は情報の「裏取り」やクオリティコントロールに、極めて高いコストとプライドを持ってきたと考えられている。筆者自身、新聞社の報道姿勢や体質について日頃から厳しい批判を繰り返しているが、それでも雑誌やテレビ、ましてや有象無象のネットメディアと比較して、新聞社の事実確認のプロセスは、一般論として依然として業界最高水準にあることは認めざるをえない。
これは法律で定められた義務ではなく、長年培われてきた業界の慣習であり、彼らのアイデンティティそのものであった。信頼の砦だったと言ってもよいだろう。
しかし、その「神話」は今、音を立てて崩れ始めている。背景にあるのは、新聞業界全体を覆う構造的な不況である。
購読者数の減少に伴い売上高は右肩下がりで、制作費も削減され続けている。現場は慢性的な人手不足に陥っている。にもかかわらず、経営陣からは「デジタルシフトだ」「ネットでPVを稼げ」という号令がかかり、現場には従来以上の業務量がのしかかっている。
紙の紙面を作るだけで手一杯なのに、ネット独自のコンテンツも大量に生産しなければならない。当然、社内のリソースだけでは手が回らない。そこで安易な解決策として選ばれているのが、Web関連業務の「外注(アウトソーシング)」である。新聞業界で多様な形で取り入れられている。
また、新聞業界には、依然として「紙とデジタルの二重基準」が根強く残っている。
本来、インターネット上の記事は、紙の紙面よりもはるかに多くの人々の目に触れる可能性があり、拡散力も桁違いである。一度誤報や不祥事を出せば、それが「炎上」につながり、ブランド全体を毀損するリスクは紙以上と言っても過言ではない。
ところが、それにもかかわらず、新聞社やテレビ局の内部には、「ネットは紙や電波のコンテンツに比べて、多少いい加減でも構わない」「ネットニュースなんてそんなものだ」という、非合理極まりない規範が存在しているように見受けられる。
筆者自身、長らくメディアの仕事に関わってきたが、この「ネット軽視」の空気感は確実に存在する。その結果、最もリスク管理が必要なネット媒体の現場が、経験の浅い外部スタッフや派遣社員に丸投げされ、ガバナンスの空白地帯となっているのだ。
実は、外部委託に伴う同種のリスク事例は、つい最近も起きたばかりである。
2024年11月、毎日新聞で発生した「Snow Man渡辺翔太さんなりすまし記事事件」だ。