学校では“政治的”として表現に制約も
スウェーデンでは、自由な発言の封殺、民主主義の破壊につながる行為が学校でも起きている。筆者もそれを経験した。
次女が通う高校で、生徒たちが大きなキャンバスに「コミュニティと愛」を象徴する言葉を書くというイベントがあった。
私の娘が、仲良しのクラスメイトといっしょに『Free Palestine (パレスチナを解放せよ)』と書いたところ、学校側は直ちにPalestine の文字だけを白く塗りつぶした。
これにクラス中が猛反発して、学校に抗議し、大問題となったのだ。これは地元紙ボロース・ティドニング(BT)のニュースにも取り上げられた。
以下は、BTの報道の要約である。
生徒がコミュニティと愛を象徴する言葉として、「パレスチナ解放」と書いたが、学校側がこれを直ちに削除した。生徒たちは「これは言論の封殺であり、スウェーデン憲法への侵害だ」「学校は生徒の自由な表現を許していない」「学校側が自分たちを検閲している」として、学校に対し抗議した。
同高校のマーティン・エクロフ校長は、BTの取材に対して「学校が生徒の表現の自由を制限しているわけではない」「これは愛のメッセージであるべきで、政治的な表現があってはならない」と話している。
つまり、生徒たちが「連帯と愛」というテーマに関連すると信じて表現したメッセージが、学校側の「政治的であってはいけない」という一方的な判断によって排除されたということだ。
生徒の一人ハシブ・フセイン・カーンは、こう話す。
「パレスチナで起きていることはジェノサイドです。国連もそう宣言しています。この事態を傍観しているべきではありません」
ヨナタン・ノリンダーはこう付け加えている。「これは政治的な問題ではないと思います。ただ平和の問題であり、私たちは平和、愛、そして喜びを広めたいのです。学校に検閲されることなく、自分の好きなように表現できることが重要だと思います。この前向きなメッセージを広めるべきだと強く思います」
BT紙が、校長に問いかける。
——パレスチナへの支援は、愛と互いへの思いやりというテーマに合致しないのでしょうか?
「私たちはそのようには捉えていません。それがこの活動の一部だとは思えません」。