汚職対策機関を制限する法律案を巡る経緯
本項は、ジェトロ・ビジネス短信の「汚職対策機関の権限縮小法に国内外から非難と懸念」(2025年07月30日)および「汚職対策機関の独立性を回復する法案が成立」(2025年08月05日)を参考にしている。
ウクライナでは1991年の独立以降、国有企業の民営化などに乗じて大金と権力を得た大富豪「オリガルヒ」と政界との癒着が問題になっていた。
国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」が毎年発表している報告書「腐敗認識指数」(CPI)によると、ウクライナは2024年、180か国・地域のうち105位だった。
同報告書では「ロシアの侵攻にもかかわらず、司法の独立、高官の汚職の訴追において大きな進展を見せた」と評されている。
親ロシア政権の崩壊につながった「マイダン革命」の前年、2013年は177か国・地域中144位だったので、11年間でそれなりの改善があったとみることができる。
なぜ改善が進んだのか。
実は、腐敗していたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権が倒れた後、米国は欧州諸国と協力して2つの反腐敗機関を誕生させた。
一つは、国家汚職対策局(NABU、2015年4月設置)で 汚職犯罪の捜査を専門とする捜査機関である。
もう一つは、特別汚職対策検察(SAP、2015年12月設置)は、国家汚職対策局が捜査した事件を検察官が担当し、起訴や裁判を進める機関である。
国家汚職対策局は最高レベルの腐敗を調査し、その案件は特別汚職検察庁が監督・起訴する。その後、高等反腐敗裁判所(HACC)において審理される。
その目的は、贈収賄の疑いがある高官を調査・起訴できる独立した反腐敗機関を設立することだった。政治的に従属的で腐敗にまみれた旧来の法執行機関は、この任務を果たせないとみなされていたのである。
米国や欧州は、反腐敗のための捜査、立件、裁判までを政治的干渉なしに可能な独立したルートを設けることで、腐敗の蔓延するウクライナの近代化や民主化につなげようとしたわけである。
この反腐敗との戦いは、ウクライナ戦争勃発後の2022年6月、ウクライナのEU加盟を急ぐためにEUとウクライナが合意した7つの加盟条件の一つとなっている。
すなわち、第3番目の条件として、腐敗との闘いをさらに強化し、特に高官レベルにおいて、予防的かつ効果的な調査を実施し、司法手続きの結果と有罪判決の信頼性を示すことが明記されていた。
ところで、ゼレンスキー大統領は2025年7月22日、国家汚職対策局と特別汚職対策検察の権限を縮小する法案に署名した(7月23日発効)。
これにより、検事総長は国家汚職対策局の検事に対し、拘束力ある指示や管轄事件の他機関への移管、弁護側の要求に応じた政府高官に対する捜査の打ち切り、特別汚職検察庁長官の検察グループへの所属権利の撤回およびその決定などの権限を得ることになった。
国家汚職対策局と特別汚職検察庁は同日、同法案は両機関の独立性を損なわせ、特別汚職検察庁長官は名目上の役割のみの存在となるとし、最高会議(国会)に対し、同法案を支持しないよう求めていた。
国民からも非難が集まり、7月22日から数日間にわたり、キーウ、リビウ、ドニプロ、オデーサなどの複数都市で、数百人から数千人規模のデモが行われた。
欧米や国際機関からも、同法案はウクライナのこれまでの改革の結果を失わせ、EU加盟やパートナーからの資金援助を危ぶませるとして、懸念の声が上がった。
ウクライナの汚職対策は、パートナー国・機関から支援を受けるのに不可欠な要素である。
複数の報道によると、欧州委員会のギヨーム・メルシエ報道官は7月25日、ウクライナ・ファシリティー(注1)に基づくウクライナへの4回目の資金拠出が、EU加盟に向けた改革の遅れにより、予定された45億ユーロから、30億5000万ユーロに減額されると述べた。
減額の要因となったのは、以下の3つの遅れが指摘されている。
①地方分権化
②高等汚職裁判所の裁判官任命
③国家汚職・犯罪獲得資産摘発・捜査・管理庁(ARMA:Asset Recovery and Management Agency)改革
ARMAの改革に関する法案は7月27日に署名された。未実施の改革が12か月以内に履行されれば、今回減額された資金は拠出されることになっている。
(注1)ウクライナ・ファシリティーとは、欧州連合(EU)がウクライナの復興、再建、近代化を支援するために設立した2024年から2027年までの新たな財政支援メカニズムで、ウクライナの財政安定と復興に向け、最大500億ユーロ(約8兆円)の安定した予測可能な財政支援を提供することを目的としている。
ゼレンスキー大統領は7月23日、「国家汚職対策局と特別汚職対策検察庁の権限を縮小する法律」の目的は、汚職対策機関に対するロシアの影響を排除することと釈明した。
国内外の批判や懸念を受け、ゼレンスキー大統領は同日、国家汚職対策局、特別汚職検察庁、国家汚職防止庁、検事総長など関係組織と協議を行い、ウクライナの法の支配の強化のための行動計画を作成することに合意した。
しかし、国内のデモの拡大や欧米諸国の懸念の声を受け、ゼレンスキー大統領は7月24日には、汚職対策機関の独立性を守り、法執行機関へのロシアからの影響や干渉を排除するための新たな法案を議会に提出した。
これに対し、国家汚職対策局と特別汚職対策検察庁はSNSで7月25日、新たな法案は国家汚職対策局と特別汚職対策検察庁の訴訟手続き上の権限や独立性を回復させるとし歓迎した。同法案は、7月31日に審議される見込みとなった。
ウクライナ国内では7月31日の最高会議での新法案の審議に向けて、30日からキーウやリビウ、ザポリージャやオデーサなどの複数の都市で、新法案を可決し、国家汚職対策局や特別汚職検察庁の独立性の回復を求めるデモが行われた。
7月31日の最高会議の審議で、新法案は賛成331票、反対0票、棄権9票で可決された。
同日、ゼレンスキー大統領は、汚職対策機関の独立性を回復する法案に署名した(8月1日発効)。
ゼレンスキー大統領は署名後のビデオ演説で、新たな法律は汚職対策機関の独立性を保証するものであるとし、外部からの影響や干渉を排除するため、国家機密にアクセスする、またはロシアに親族がいる法執行機関の職員に、定期的なポリグラフ検査を実施するなどの措置を説明した。
また、ウクライナは民主主義国家であり、大切なことは、国民の意見を聞くことであると述べ、新法が民意を反映したものであることを強調した。
欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は7月31日、自身のSNSで、新たな法律を歓迎するとともに、ウクライナの法の支配と汚職対策の改革は、EU加盟に必要不可欠で、継続されなければならないとコメントした。