撤退・再参入・迷走…「大底」からの反転攻勢

 バーガーキング1号店は93年、埼玉県入間市で開業。当時の運営会社は西武商事(現・西武不動産)だったが、アメリカのバーガーキング本社との方針の違いもあり、その後はJT(日本たばこ産業)が多角化戦略の一環として事業を継承している。

 90年代後半には、日本マクドナルドが平日半額キャンペーンなどの低価格攻勢をかけた余波もあってバーガーキングは業績が悪化し、2001年には日本市場から一度撤退した。

 07年に日本へ再参入する際にはロッテと企業再生ファンドのリヴァンプがタッグを組み、10年には韓国法人のロッテリアが日本の事業を買収したものの、長く低迷から抜け出せない時期が続いた。

 17年になると、香港の投資ファンド、アフィニティ・エクイティ・パートナーズに経営権が移るが、19年5月時点でバーガーキングの店舗数は前年の約100店から77店にまで縮小している。

 その19年の“大底期”に、バーガーキングの運営会社であるビーケージャパンホールディングス(以下BKJHD)入りしたのが、現在の野村一裕社長だ。

 同氏は2002年にキリンビールに入社し、17年に退職。2社での転職を経て19年にBKJHDへ転じ、ディレクターとしてマーケティング戦略や新商品開発、ブランドコミュニケーションを担当した。22年にCOOに就任してからは店舗開発やフランチャイズビジネス部門も統括し、23年1月より社長に就いて現在に至る。

 野村氏がBKJHD入りした同年末には店舗数が底を打って約90店まで回復。以後、20年末には約110店、21年末約140店、22年末約175店、23年末には約200店と毎年拡大を続け、25年には300店を突破した。

 バーガーキングの事業拡大はコロナ禍と重なっている。テイクアウトやデリバリー需要の急増で、ファストフード業界全体に追い風が吹いたことも大きい。野村氏はコロナ禍期間の伸びについて、こう振り返る。

「まず、バーガーキングの店舗ではタッチパネル式キオスク端末の導入がかなり早かったこと。加えて、コロナ禍ではデリバリーニーズが一気に増えたことで、消費者が宅配する飲食チェーンをスマホで検索し、その過程で『おっ、マクドナルドやモスだけでなく、バーガーキングも宅配してくれるんだな』と気付いてくださった方が大幅に増えたのです」

ビーケージャパンホールディングスの野村一裕社長(撮影:宮崎訓幸)

 さらに、店舗数がまだ少ない分、BKJHDでは臨機応変に素早く立ち上げるアジャイルなプロモーション施策など、機動力の高さを武器にしてきた。