宮廷のものだった絵画が庶民に広がった17世紀
──宮廷工房はムラト3世の時代以降も続いたと書かれています。
小笠原:宮廷工房は、オスマン帝国の中心部にあるトプカプ宮殿の中に作られた工房です。スルタンが給料を払って有能な者たちを登用し、たくさんの作品を描かせました。これが、先述の古典期に当たります。
宮廷工房はのちの時代も続きますが、17世紀以降、宮廷工房の職人の数は減少の一途を辿ります。一時期は、これがオスマン帝国の細密画の衰退を招いたと考えられていましたが、最近の研究ではどうやらそうではないということがわかってきました。
17世紀は、確かに宮廷工房の職人の数は減少しており、宮廷工房で描かれた作品数も減っています。一方で、宮廷外の一般の人々が絵を好むようになったのも、この時代のことです。
実際、この時代に庶民向けの絵が宮廷外で描かれ、市場で売買されるようになりました。つまり、16世紀には宮廷のための存在だった絵画が、17世紀になると一般にも広がっていったという流れです。
オスマン絵画最後の巨匠レヴニーと新古典期
──18世紀初頭にはオスマン絵画は「新古典期」を迎えます。
小笠原:レヴニーというオスマン細密画の最後の巨匠と言われる人物が現れた18世紀が新古典期と言われています。
古典期は人物が静的に描かれ、画面の動きがあまりないことが特徴でしたが、新古典期には徐々にその雰囲気が変化していきます。これには西洋の絵画の影響もあると思います。
例えば人物の等身が高くなっていったり、プロポーションが現実の人間に近くなってきたり、あるいは徐々に動きを取り入れるような構図に工夫を凝らしたような絵が現れてきます。
そのような変化を集約したのが、レヴニーと言えるでしょう。「レヴニー」はペンネームで「色彩」を意味します。
古い時代の細密画はデザイン的で、作品によっては万華鏡のようなきらびやかな装飾が背景に施されていました。それはそれで非常に美しいのですが、レヴニーの場合はそのような不自然なまでの装飾を背景に施すことはなく、むしろ自然な形で背景を描きます。これはある意味、写実的とも言えます。
ただ、注意していただきたいのは、レヴニーが優れている、古典期の絵画よりも新古典期のほうが発展した、というわけではないという点です。
古典期の時代は、静的で動きのないきらびやかな背景の絵画が好まれた一方、新古典期に入ると西洋絵画の要素を取り入れたやや動的な絵が好まれるようになったということです。一種の、流行の移り変わりのようなものだと思います。