ベネチア出身の画家・ベッリーニが与えた影響

──メフメト2世はベネチアから画家・ベッリーニを招聘して、さまざまな絵を描かせました。ベリーニは、オスマン帝国の美術にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

小笠原:ベッリーニは、ベネチアの初期ルネッサンス絵画の代表格の一人と言える有名な画家です。

 それまでのオスマン帝国の絵画は、基本的にはイスラム的な細密画で、平面的で遠近法が使われていないのが特徴でした。写実的とは言い難い絵画ですが、遠近法が用いられた西洋絵画と比較して劣っているわけではありません。そのような静寂な描き方が当時のオスマン帝国では人気があったのです。

 そのような中で、ベッリーニが西洋絵画の技法でスルタンの絵を描きました。これは、非常に大きなインパクトでした。

ベッリーニ《書記座像》1479〜81年

 オスマン帝国の宮廷絵師だったスィナンやシブリーザーデは、写実的なルネッサンス西洋絵画とイスラム的な絵画の中間のような絵を残しており、ベッリーニの絵に明らかに影響を受けていることがうかがえます。

 西洋から招聘された画家とオスマンの宮廷絵師たちによって、イスラム世界の絵画の中では珍しい西洋の影響を受けた折衷的な絵がオスマン帝国で生まれたと考えられます。

「古典期」と呼ばれる16世紀のオスマン絵画

──16世紀のスルタン・ムラト3世の時代のオスマン絵画は、「古典期」と位置付けられています。なぜ、この時代が「古典期」と呼ばれているのでしょうか。

小笠原:ムラト3世は、宮廷工房を拡大し、パトロンとなって大勢の絵師たちを雇い、大金を払ってたくさんの細密画を描かせました。巨大な書物に、文章と挿絵を多く織り込んだ作品を何点も作成させています。宮廷工房の発展と細密画の数が、オスマン帝国前半期の絵画の頂点だったと言えます。

 古典期に描かれた絵は、イランやペルシアの伝統に沿ったイスラムの伝統的な形式のものがほとんどです。ただ、オスマン独自の特徴もあります。それは、戦争や外交といった現実の舞台を題材にとって描かせた絵が非常に多いということです。

 また、ペルシア絵画では、人物の動きが流麗で優美に描かれるのに対し、オスマン古典絵画は、動きを極力抑えて描かれています。たくさんの登場人物が細かく描かれた絵でも、彼らは静的な空間の中で、人形のような描かれ方をしています。これはうまい下手の問題ではなく、当時のオスマン帝国の人々がそういう静的で完成された空間を好んだと考えられています。

 こういった宮廷工房の発展と豊富な作品群、そしてイスラム伝統のスタイルを継承しながらもオスマン独自のスタイルを確立させたという点で、この時期は古典期と呼ばれています。