だが、ヤブグシシンの人生を最も決定的に変えたのは2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻だった。爆撃の音が響き、街を覆った緊張は未来の設計図を一瞬で書き換えた。家族は身の安全のためドイツへ避難。その中でヤブグシシンは迷わず、「日本に行く」と決断した。
トランクひとつで来日、関西大相撲部員宅にホームステイ
大学卒業後に挑戦するつもりだった目標を戦争が強制的に前倒しした形だが、ヤブグシシンはそれを“夢をつかむ契機”へと反転させた。家族との相談も「意見を聞く」のではなく、「決断を伝える」に近かったという。
人生の舵を自らの意思で切るという、その強さが後年のスピード出世の根源となる。
2022年4月、わずかな荷物だけを持ち単身で来日。2019年に世界ジュニア選手権で初来日した時から親交を深めていた、関西大学相撲部員の山中新大氏の家に身を寄せ、同大学の相撲部で汗を流し、言葉も分からぬままに稽古だけに没頭した。
2024年11月、かつて汗を流した関西大学相撲部から化粧まわしを贈られた安青錦。右が現関西大相撲部コーチの山中新大氏。安青錦のしこ名「安青錦新大」は、山中氏の名にちなんでいる(写真:産経新聞社)
この時期、ヤブグシシンのレスリング由来の低い姿勢と足腰の粘りは、指導者たちに驚きをもって受け止められた。普通ならば外国出身力士は体格やリーチへの依存が強いが、ヤブグシシンはその逆だった。
誰よりも腰が落ち、胸を張り、立ち合いで必ず先に前へ出る。「これはいずれ大成する」と感じさせる要素が来日直後から、すでに整っていたのである。