戦争が始まる前までは美しいものばかりを撮っていたファトマは、この戦争を契機に戦場ジャーナリストとなった。戦禍を受けた場所、悲嘆にくれるパレスチナの人々、それにイスラエル軍による破壊にレンズを向けることで、

「この死の世界に光を見いだそうとしてる」

 とファトマは映画の中で語る。

空爆の間隙を縫ってくつろぐ地元の人々 ©Fatma Hassona
がれきの中でヒジャブを被って歩く女性 ©Fatma Hassona

 シェルターとして使っていた学校が爆破された時は、すぐに現場に駆け付けたくなるのだ、と言う。

「私の頭の中で声がする。『ファトマ、撮れ!』『今しかない』と。できる限り、ガザの惨状を世界中に公開することで、皆には戦争という真実と向き合ってほしい」

光見えない現実の中で見せる底抜けの明るさ

 将来の夢について訊かれるとこう答えている。

「ガザの外で撮影や光の扱い方を学びたい。今は外の世界に触れられないけど、世界は広いでしょう。私たちは今、ガザという箱に閉じ込められていて、その内側しか見られない。箱の外にあるガザ以外の街で何が起きているのかを知るすべもない」

 いくつもの美点を持つファトマの2つ目の佳所は、その天性の明るさである。監督のファルシが「太陽のような存在」と呼ぶ、そこ抜けの明るさこが、の映画を観るべきものにしている。どんなときにも深刻になりすぎず、前を向いて生きていく天賦の生命力をファトマは持っていた。

4歳になる姪が画面越しに”I love you,”と告げる ©Sepideh Farsi Reves d'Eau Productions