だが、竹内の妻は表に立つのが怖く、すぐに踏ん切りがつかなかった。しばらく悩み、5月の連休明けに郷原へ連絡を取った。

「声を上げないと結局、いつまでも終わらないんです。(立花は)反論してこない相手を攻撃し、言いたいことがあれば警察へ行け、法に訴えろと言うんですが、そんなことしないだろうと高を括っている。私には幸い背中を押してくださる方がいたので、ようやく決心できましたが……」

「夫の尊厳を守りたい。それは自分の尊厳を守ることでもある」

 こうして6月、先述した2件の刑事告発に至った。ところが7月に入ると、代理人の郷原が病に襲われ、入院する。後を引き継いだのが石森だった。「立花とバトルを繰り返してきた彼しか託せる人がいない」と、郷原は全幅の信頼を寄せる。告訴が受理された8月の記者会見は石森が進行し、竹内の妻はついたての向こうから言葉を絞り出した。

「夫の尊厳を守りたい。それは自分の尊厳を守ることでもあるからです。そう思い、声を上げることを決めました」

「立花氏が夫について言っている内容は、すべて事実でない、間違っていると私は知っている。夫の代わりに声を上げられるのは私しかいない」

 告訴はしたものの、先行きが見えず不安な日々が続いた。竹内の同僚議員らが立ち上げ、寄付を呼びかけた「遺児育英基金」がネットで中傷されたのもこたえた。9月には、最初に背中を押してくれた元議員の石川が闘病の末、亡くなった。

 そんな辛苦をくぐり抜けた末の「立花逮捕」。会見の第一声で、竹内の妻が「ホッとした」と言ったのは偽らざる心境だろう。

 ところが、立花側は14日になって突然、「真実相当性は争わない」として示談を申し入れてきた。略式罰金に持ち込み、公開の法廷を開かせない狙いではないかと石森は見る。竹内の妻は「受け入れるつもりはない」と即答したが、法廷での事実解明と審判を望む遺族感情を愚弄され、踏みにじられたと感じている。