AIらしい知性の発展へ
人間が人間に似せたAIを作り上げる過程は、「リアリズムの時代」に似ています。
音楽でいえば、生演奏の再現を目指したPCM音源のようなものです。
しかし、それが究極まで進むと、必ず差異を求める動きが始まります。
AIが完全に人間を模倣できる時代、人間はむしろ「AI的な個性」を尊ぶようになるでしょう。
人間では思いつかないロジック、人間の感情を超えた直感、データ的な美意識。
そうしたAIならではの創造性が新たな文化価値を持ち始めるのです。
TR-909の音が「本物のドラムではないからこそ」魅力的だったように、未来のAIも「人間のようではないからこそ」新しい価値を生み出すでしょう。
人間が作り出した完璧な模倣が一巡したとき、今度は人間にはないものを求める反動が起こるのです。
将来、AIが詩を詠み、映画を撮り、思想を論じるようになったとき、人はその作品の中に人間の痕跡ではなくAI的美学を探すようになるでしょう。
人間には思いつかない語彙の選択、論理の飛躍、構造の対称性、計算された冷たさ。それらがAIらしさとして、芸術や哲学の領域で評価されるかもしれません。
まるでTR-909の金属的なリズムが新しい音楽の象徴になったように、AIも「非人間性」という個性をまといながら、文化の中心に立つ時代が来るでしょう。
このとき、AIは「人間を模倣する知能」から、「AIらしい知性」へと進化します。
そしてその存在は、私たち自身が人間であることを再認識させる鏡にもなるのです。
AIが完璧でなくても、あるいは完璧でないからこそ、私たちはそこに創造の余地を見い出します。
不完全なAIが人間に考える力を与え、やがて完全なAIが出現したとき、人間は再びAIらしさを求めて新しい文化を生み出すのです。
TR-909の音が、時代を超えて評価されたのは「生ドラムの再現ではなくドラムマシーンの音」だったからでした。
AIもまた、同じ構造を持っています。
AIは人間を置き換える存在ではなく、AIとして独立した存在になるでしょう。そして、私たちがAIの個性を愛せるようになったとき、本当の意味での「人間とAIの共創時代」が始まるのだと思います。
本物のドラムの音を出せなかったTR-909のように。