アンリ・ルソーの「ライオンの食事」。筆者撮影

AIは精緻な画像を即座に作り出すが

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 AIの進化がもたらした変化は、もはや芸術の周辺にとどまりません。

 生成AIの「ChatGPT」が文章を生み出し、「Midjourney」が絵を描き、そして「SORA2」が映像を生成する時代になりました。

 かつて専門的な訓練が必要だった表現という行為が、誰でもボタン一つで実現できるようになったのです。

 SORA2の映像を初めて見たとき、私は息を呑みました。水滴が落ちる瞬間の光、人物の髪の揺れ、空気の湿度・・・。

 映画監督が何年もかけて追求してきたリアリズムが、テキストの指示だけで再現されているのです。まさに完璧の極みと言えるでしょう。

 しかし、すぐに奇妙な空虚さが残りました。どの映像も美しい。けれど、どれも心に残らないのです。

 そこには作り手の迷いも痛みも偶然もない。正確ではあるが、生命の鼓動がない。

 AIが作る映像は「完璧な模倣」であっても、「生きた創造」ではなかったのです。

 SORA2の登場以降、SNSでは無数のAIパロディ動画が生まれました。人気映画の名シーンを模倣し、キャラクターを入れ替えた作品があふれています。

 どれも完成度が高く、一見すると本物と区別がつきません。けれども、それらはすべてニセモノです。そこには自分自身の視点も、体験も、思想もありません。

 AIは誰かが作ったものを学び、過去を再構成しているにすぎないのです。オリジナルな物語はどこにも存在しません。