JALの更生計画案について 記者会見する稲盛和夫会長(中央)。向かって右が、企業再生支援機構の瀬戸英雄・企業再生支援委員長=2010年7月28日、東京都品川区(写真:共同通信社)
会社倒産という「修羅場」を仕切り、再生への道筋をつけるのは誰か。2010年、負債総額が当時過去最大の2兆3200億円に上った日本航空(JAL)倒産とその後の早期再建は、名経営者・稲盛和夫氏の功績とされることが多い。だが、稲盛氏の陰には歴戦の「倒産弁護士」、瀬戸英雄氏がいた。その内幕を描いたノンフィクション『修羅場の王 企業の死と再生を司る「倒産弁護士」142日の記録』が10月に刊行され、話題を呼んでいる。著者の大西康之氏が、瀬戸氏の手腕を解説する。(本文敬称略)
JAL倒産前夜、緊迫の会合
2009年12月29日、朝7時30分。すでに銀行を除くほとんどの企業が正月休みに入り、東京駅前は閑散としていた。企業再生支援機構の企業再生委員長で弁護士の瀬戸英雄は、丸の内ホテル7階の日本料理店「大志満 椿壽(おおしま ちんじゅ)」に向かった。
「大臣がお見えになるまで、どうぞこちらへ」
出迎えた仲居に待合へと案内される。
みずほコーポレート銀行頭取の佐藤康博と企業再生機構社長の西澤宏繁が一足早く到着していた。旧日本興業銀行で先輩後輩の関係にある西澤と佐藤は親しげに話し込んでいる。瀬戸に続いて現れたのが三菱UFJ銀行頭取の永易克典だ。
「大臣がお見えになりました」
仲居から声が掛かり4人が座敷に移ると、国土交通大臣の前原誠司、その後ろから三井住友銀行頭取の奥正之が入ってきた。
「お待たせして申し訳ない。みなさんお揃いのようなので、瀬戸先生、さっそくお願いします」
瀬戸が話し始めたのは、この時すでに経営破綻の寸前だった日本航空(JAL)の再生プランである。支援機構を通じた公的資金注入と、会社更生法の適用を併用する「ハイブリッド型再生」について、瀬戸は簡潔に説明した。
瀬戸の説明が終わる頃には永易の顔が青ざめていた。
「あなたたちは何もわかっていない。最近、JALに乗りましたか。パイロットも客室乗務員も、現場の人たちはみんな必死に頑張っていますよ。それもこれも、会社を倒産させない、法的整理にならないようにするためですよ。彼らの苦労に水を差して、会社の再生なんてできるはずがない」
永易は、自分の言葉に興奮していた。
「だいたい、あなたたちは、何でそんなに会社更生法にこだわるんだ。倒産弁護士だか何だか知らんが、自分たちの功名心で法的整理に持ち込もうとしているだけじゃないか!」
バンッ。狭い座敷に机を叩く音が鳴り響いた。西澤だ。
「何を言うか! 何も分かっていないのはそっちだろう。これまで国が関与したJALの再建は何度も失敗しているんだ。僕たちは、そうならないように、確実にJALを改革する方法を必死で考えている。それを功名心とは……」
永易の興奮は収まらない。
「だいたいJALがこんなことになったのは国の航空行政の失敗が原因だろうが。何でそのツケを俺たち民間が……」
「永易さん」
瀬戸が低い声で言った。メガネの奥の細い目は、じっと永易を見つめている。
「功名心とは日本を代表するメガバンクの頭取の物言いとも思えない。ここにいる6人、JALを何とかしたい、という思いは同じはずですが…」
(『修羅場の王 企業の死と再生を司どる「倒産弁護士」142日の記録』より一部を要約して抜粋)

