「夢」(アンリ・ルソー)
酷評が評価に変わった瞬間
批評家たちは当初、彼を笑いました。
「まるで子供の落書きだ」「画法を知らない税関職員」
それでもルソーは、自分の描く世界を信じ続けました。彼の中では、絵は現実の模写ではなく、夢の延長だったのです。
私は1993年に初めて、ニューヨーク近代美術館(MoMA)を訪れました。展示室の中央に飾られていた2枚の絵は、まさにルソーの「夢」と「眠るジプシー女」でした。
そのときの衝撃は今も忘れられません。展示室の照明は柔らかく、観客たちは静かにその前に立ち尽くしていました。
私は絵の前に近づき、思わず心の中でつぶやきました。「これは現代の作品だ」と。
フラットな構図、極端に整理された色、均一な線のリズム・・・。まるでデジタルペイントやAIイラストのようなモダンさ。
私は一瞬、最近のイラストレーターの作品かと思ったほどでした。
しかし、キャプションには「アンリ・ルソー 1910年」とあります。
100年以上前の作品が、今の時代の美的感覚と完全に共鳴しているのです。そのことに鳥肌が立ちました。私はその2枚の絵を撮影しました。
カメラ越しでも、絵の中に潜む静かな熱を感じたのです。AIが作る完璧なリアルとは違う、どこか人間の体温を帯びた世界。絵具の凹凸、筆跡の残る厚み。
それは機械では決して再現できない不完全なリアリティでした。
私はMoMAを何度も訪れています。写真というテクノロジーの出現で、逆に評価された画家、それがアンリ・ルソーなのです。
「夢」と「眠るジプシー女」は、時代の境界に立つ作品ではないでしょうか。ルソーは、写真が絵画の役割を奪った時代に生まれながら、その“奪われた部分”を取り戻そうとしたように思えるのです。
カメラが現実を「写す」ようになったあと、人間の絵画に残されたのは「感じる」ことだけでした。ルソーはその「感じ方」を極端なまでに純粋化しているのです。
彼の絵にある非現実的な緑や、動物のぎこちない配置は、現実を再現しているのではなく、心の中にある記憶を描いています。
だからこそ、彼のジャングルは幻想でありながら、どこか懐かしいのです。私たちが幼い頃に夢の中で見た「アニメーション」のような感じではないでしょうか。