イスラム教徒に強要、「イスラエルを愛していると言え」
ヘイズ:皆、乱暴に扱われました。私たちはイスラエル南部のアシュドッドという街の港に運ばれ、到着すると1人ずつ国境警備隊に引き渡されました。5人ほどの仲間たちがタラップで殴られるのを目撃しました。チュニジア人とフランス人の仲間が殴られたのを記憶しています。
大勢の仲間が結束バンドで腕を縛られましたが、私はバンドをされませんでした。年配の者には多少の配慮があったのかもしれません。ただ、拘置所に連行された後は、コンクリートの上に両膝を付けさせられ、頭を下げさせられて、苦しい姿勢で45分から1時間半ぐらい待たされました。これは苦しかった。あの姿勢は20分でも耐えがたいですよ。
私が船の中で同室だったエドワードという仲間はイスラム教徒に改宗していましたが、そのことが分かるとイスラエル軍は彼に対して非常に暴力的になり、彼の頭を地面に押し付けて「イスラエルを愛していると言え」と強要しました。
私たちに苦痛を与えるたびに、兵士たちから笑い声がしました。私の横にいた若い男性は泣きながら「これは拷問だよ」と呟きました。
我々はその後、目隠しをされ、手錠をはめられ、輸送されて刑務所に入れられました。そして、刑務所に着くと服を脱がされて身体検査をされました。糖尿病など持病のある人もいて、そのことを伝えましたが、薬などはもらえませんでした。
──そこからどのようにしてアメリカに送り返されましたか?
ヘイズ:3日間独房で過ごし、出るように言われてバスに乗せられました。その段階では目隠しや手錠はありませんでしたが、顔写真を撮られました。数時間バスに揺られ、ゲネブ砂漠を抜けてラモン空港に入り、空港内を歩かされました。そして、トルコ航空の飛行機でイスタンブールに運ばれ、そこから各自帰国したという次第です。
私たちは、またガザへ向かいますよ。何度でも挑戦します。選択の余地はありません。声がかかれば、喜んで私はメンバーに加わります。
──FFCはどのようにして生まれたのでしょうか?
ヘイズ:FFCの活動は2008年から始まりました。2007年から本格的にガザの封鎖が始まったからです。当初は小さなボートでガザにアクセスすることから活動を開始しましたが、だんだん取り組みが大きくなっていきました。パレスチナの状況が悪化するにつれて、心を痛めた勇敢な人々の参加が増えてきました。
FFCには幾つもの異なるグループや計画があります。今回ガザに向かった人々は22の国と地域から集まりましたが、全体ではおよそ40の国と地域からの参加者がいます。