稲垣家の聟養子に
小泉セツの長男・小泉一雄の随筆『父小泉八雲』によれば、為二は安政5年(1858)9月22日に生まれた。
慶応4年(1868)生まれのセツより、10歳年上となる。
為二は鳥取藩士であった前田小一郎の次男で、前田家も稲垣家と同じく貧窮した士族だった。
この前田家と稲垣家の間で縁談が纏まり、明治19年(1886)11月30日、セツは為二を聟養子に迎えて、結婚している。
セツは18歳、為二は28歳であった。
為二の勤め先は、県庁とも機業会社ともいわれる。
ドラマの松野トキと銀二郎のように、セツと為二も気が合っていたのかもしれない。
セツは子どもの頃から昔話、民話、伝説など物語が大好きで、誰に対しても、物語を聞かせるようにせがんだという。
一方、為二は浄瑠璃が好きだった。セツは為二に勧められて、近松物をかなり読んだようである。
さらに、当時、流行していた月琴の弾き方を、セツは為二から習ったという。
また、セツは為二から、『鳥取の布団の話』という話を聞いている。
これは後に、セツがラフカディオ・ハーンに、最初に語る話となる(以上、小泉一雄『父小泉八雲』)。
セツは為二との結婚を、喜んだかもしれない。
だが、為二は、多額の借金を抱えているうえに、妻のセツをはじめ、妻の養父母、祖父までも養うことを期待される生活に絶望したのか、結婚から1年も経たないうちに、出奔してしまう。