スプラッタームービーの登場

③死霊もの——死体が墓場から蘇るという恐怖シーンは、古くは『アッシャー家の末裔』(1928年、ジャン・エプスタイン監督)というサイレント映画に登場する。ブードゥー教から派生した様々な死霊を、現在のゾンビという形に定着させたのはジョージA.ロメロ監督であるが、その最初の作品、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)は公開当時、特に注目を浴びたわけではなく、日本では公開すらされなかった。

 70年代に入って、この作品を元にしたイタリア映画『悪魔の墓場』(1974年、ホルヘ・グロウ監督)が作られ、これが日本で公開された初のゾンビ映画になるらしいが、これもまったく話題にもならなかった。78年に再挑戦した『ゾンビ』のヒットで、ロメロ監督はやっと日の目を見たわけである。そして、これ以後ゾンビの活躍は目覚しく、コメディ色を加味した『死霊のはらわた』(1981年、サム・ライミ監督)や、SFと融合した『バイオハザード』(2002年、ポールW.S.アンダーソン監督)など、進化を続けている。

④殺人鬼もの——車で旅行中の若い男女がガソリンを分けて貰おうと立ち寄った一軒の家で、人間の皮で作ったマスクをつけた大男に襲われ次々に惨殺される。この理屈抜きに突然襲われるという、それまでの映画になかった過激さが、『悪魔のいけにえ』がヒットした要因である。このパターンは『13日の金曜日』(1980年、ショーンS.カニンガム監督)によって確立される。

 この分野の作品はスプラッター(血しぶき)ムービーとも呼ばれ、派手な流血シーンがつきものであるが、この点においては、超能力を持つ少女が度重なるいじめにぶち切れて卒業パーティを阿鼻叫喚の巻と化す『キャリー』(1976年、ブライアン・デ・パルマ監督)の影響も小さくない。

⑤吸血鬼もの——この分野で最も古いのは、ドイツ映画の『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年、F.W.ムルナウ監督)だと思われる。この映画のドラキュラは怪物じみた不気味な姿をしていて、人間の血を吸うだけでなく町に鼠を放ってペストを蔓延させる。ドラキュラが現在の伯爵らしい風貌になったのは、戦前のハリウッドでヴェラ・ルゴシが演じてからで、戦後はイギリス映画でクリストファー・リーがそのスタイルを継承した。

 吸血という行為を一種の美学として耽美的に描くようになったのは、女吸血鬼カーミラが主役の『血とバラ』(1960年、ロジェ・ヴァディム監督)あたりからで、笑いの要素を加えたコメディ・ホラーのはしりとしては『吸血鬼』(1967年、ロマン・ポランスキー監督)がある。

 ぼくが観たなかで一番の変り種は、アンディ・ウォーホルが監修した『処女の生血』(1974年、ポール・モリシー監督)で、この作品のドラキュラは処女の生血以外受けつけない体質なのだが、彼が処女だと思った貴族の娘達が実はことごとく経験済みだったために血を吸うたびに悶絶するという壮絶なはなしである。

『エクソシスト』の登場以来、ホラー映画は視覚的な効果を重視するあまり、より過激で残酷な描写へと突き進んでいる。しかし、『エクソシスト』の本当の怖さは、悪魔と闘う神父もまた心の中に悪魔を抱えているというところにある。特撮技術がいかに発達しようと、映画の真の面白さは、結局のところ、人間が描けているかどうかにかかっているのである。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)