曲亭馬琴(写真:GRANGER.COM/アフロ)
NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第40回「尽きせぬは欲の泉」では、「身上半減」の刑を受けたのちに営業を再開した蔦重だったが、本の売れ行きが芳しくない。窮状を打開すべく、蔦重は新たなジャンルへの出版へと乗り出そうするが……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
山東京伝に弟子入りを志願した曲亭馬琴だが…
今回の放送では、戯作者の曲亭馬琴(きょくてい ばきん)と浮世絵師の葛飾北斎という、2人のビッグネームの若かりし頃が描かれた。
のちに曲亭馬琴として知られる、津田健次郎演じる瑣吉(さきち)は、なんとも不遜な態度で驚いた視聴者も多かったはず。山東京伝のもとを訪ねた蔦重に、京伝は瑣吉のことを「一応、門人といいますか……」と紹介しようとするが、本人はその言葉をさえぎって、こんなことを言っている。
「門人ではない、友人だ! 俺が門を叩いたにもかかわらず、お前が『弟子は取れぬ、友人で頼む』と申したではないか」
若き日の馬琴が山東京伝のもとを訪ねたことや、弟子入りを志願したが断られたことは、文献に残された記述に基づいたものだ。
9歳で父を亡くした馬琴は10歳にして家業を継ぎ、松平家で童小姓として働くも、理不尽な仕打ちに耐えかねて出奔。主家を転々としたのち、24歳のときに京伝のもとに弟子入りしようと、酒一樽を持って訪ねたという。
突然の珍客に京伝は「今も昔も戯作者には、一人も師匠はいない。弟子入りはお断りしたい」と告げながらも「気軽にいらっしゃい。できた作品があれば、見てあげることはできます」と温かい言葉をかけて、その後、度々交流を持つようになった。
弟の京山が『蛙鳴秘抄(あめいひしょう)』にて〈京伝存在の時は、交はり厚くして朋友を以って唱ふ。梓行の書にも、友人京伝と記したるもあり〉と書いているように、親しい友人のように交わっていたという。
ドラマでは「深川の水で家をやられてな。友人宅で厄介になっているというわけだ。がはははは!」という馬琴のセリフもあったが、実際に深川にあった家は洪水で流されてしまい、約半年にわたって京伝のもとに身を寄せていた。
史実においては、京伝から「京伝門人大栄山人」の名を与えられた馬琴。黄表紙『尽用而二分狂言(つかいはたしてにぶきょうげん)』でデビューを果たしたのも、京伝の力添えがあったからだ。馬琴の方も恩人である京伝の執筆を助けたばかりか、代作まで手がけるなど、2人は親密な間柄だった。
江東区平野にある曲亭馬琴誕生の地(写真:a_text/イメージマート)