鈴ヶ森刑場遺跡に保存されている火炙り台とその説明(東京都大田区、写真:MORIKAZU/PIXTA)
NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第39回「白河の清きに住みかね身上半減」では、山東京伝作の『教訓読本』として3作品を出すも絶版処分に。山東京伝と蔦重は処罰されることになり……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
まるで機能しなかった「行事改」のシステム
「行事を2名立てて、行事改を実施せよ」
出版統制令が出された5カ月後の寛政2(1790)年10月、幕府は地本問屋に対してそんなお触れを出している。
老中の松平定信としては、祖父である8代将軍・徳川吉宗が享保時代に行った出版規制が形骸化していたため、徹底させようと考えたようだ。
定信は時事や異説、古代風に仕立てて現代世相を書くことや、好色本の出版を改めて禁じている。また、先祖のことや、徳川将軍家に関する書物も出版してはならないとした。地本問屋には、行事というチェック係を決めたうえで、仲間内での検閲が義務付けられることになった。
そこで蔦重は行事2名の審査をきちんと受けたうえで、山東京伝による3作品を出版したが、これが町奉行に問題視された。
まず『仕懸文庫(しかけぶんこ)』は鎌倉時代になぞらえながら、実際には深川遊廓での遊興の様子を描いたものと判断された。
そして『青楼昼之世界錦之裏(せいろうひるのせかいにしきのうら)』と『娼妓絹篩(しょうぎきぬぶるい)』の2作は、浄瑠璃の筋立てや登場人物を使いながらも、結局は吉原遊廓の様子を描いたものだと判断された。
3作とも絶版処分となったばかりか、出版元の蔦重や作者の京伝、さらに行事の2名も処罰されることになった。
「行事改」のシステムはうまく機能しなかったわけだが、それも無理はない。このとき、審査するべき行事は2人とも零細の製版業者だった。なんとかして規制をかいくぐろうとする蔦重を止めることは、力関係的に難しかったのである。
今回の放送では、蔦重はこの3作について行事からチェックを受けるときに「好色を描くことで、好色を戒める。そうただし書きしてあんじゃねえですか」と説得。袋には「教訓読本」と取ってつけたように記載している。実際にもそんな小細工をし、なおさら幕府の怒りを買うことになった。