台東区浅草に建つ池波正太郎作品の世界の立て看板 写真/フォトライブラリー

 歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。そのなかには、有能なリーダーもいれば、そうではない者もいました。彼らはなぜ成功あるいは失敗したのか?また、リーダーシップの秘訣とは何か?そういったことを日本史上の人物を事例にして考えていきたいと思います

「鬼平」として知られる長谷川平蔵宣以

 長谷川平蔵宣以は、作家・池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として一般に知られています。また2025年の大河ドラマ「べらぼう」でも宣以は登場していますので、脚光を更に浴びることでしょう。「べらぼう」では宣以を中村隼人さんが演じています。旗本のぼんぼんとして、吉原遊廓で放蕩する姿が描かれていました。

 宣以は江戸時代中期の旗本として「火付盗賊改」(放火や盗賊・賭博を取り締まる役職)を務め活躍した人物ですが、彼の活動を見る前に、宣以の父について見ていきます。筆者が思うに宣以の父・宣雄もなかなかの人物です。

 宣雄は享保4年(1719)に生まれ、明和8年(1771)に火付盗賊改加役に就任します。そう、時期は違えど親子とも同じ役職に就くことになるのです。

 宣雄が同職に就いた翌年(1772)2月、江戸で大きな災害が起こります。寒風が吹き荒れる2月29日、江戸郊外の目黒行人坂の大円寺から出火。火は強風により麻布や芝、日本橋や神田・浅草など広範囲に燃え広がります。翌日には火は鎮火しますが、その夕方には新たに出火があり、被害は更に拡大するのでした。夜半に火は消えますが、一連の火災により死者は1万4700人に上ります(行方不明は約4千人)。甚大な被害が出た火災は「明和の大火」と称されます。

 この明和の大火で活躍したのが「火付盗賊改」の役職にあった長谷川平蔵宣雄でした。宣雄は今回の大火は不慮の出火ではなく、放火(付け火)の可能性ありとして調査を開始します。与力・同心を出火元の大円寺の周辺に遣わし、聞き込みをさせたのです。

 その後、同心が寺の周辺をいつも徘徊している怪しげな男を捕まえます。捕縛されたのは武蔵国熊谷無宿・長五郎(真秀を名乗る願人坊主。26歳)でした。追及を受けた長五郎は放火したことを白状します。彼は盗みを働いたり、人を襲い物を奪ったりしていましたが、2月29日、大円寺に火を付けます。小火を起こし盗みを行うためです。ところが小火どころか、火は瞬く間に燃え広がり、大火となってしまいます。