撮影/西股 総生
(歴史ライター:西股 総生)
はじめて城に興味を持った人のために城の面白さや、城歩きの楽しさがわかる書籍『1からわかる日本の城』の著者である西股総生さん。JBpressでは名城の歩き方や知られざる城の魅力はもちろん、城の撮影方法や、江戸城を中心とした幕藩体制の基本原理など、歴史にまつわる興味深い話を公開しています。今回は「江戸城を知る」シリーズとして、江戸城の濠の中でも主に山側の濠を紹介します。
江戸城は、入江に臨む台地の端に築かれた城であった。なので、低地側の大手濠・桔梗濠・蛤濠・日比谷濠は「海側の濠」、と言い換えることもできる。では、対する「山側の濠」はどうだろうか。
乾濠と平川濠
北拮橋門前から見た乾濠。水面からの高低差が凄い
国立近代美術館や公文書館のある北の丸側から本丸へは、北拮橋門をくぐって行くが、このとき橋の右手(西側)にあるのが乾(いぬい)濠、左手(東側)が平川濠だ。どちらのも幅がとても広い上に、石垣が高くてザックリ深いので大迫力だ。
なぜ、こんな巨大な濠を掘ったのかというと、江戸城が台地の先端に位置していたからだ。当然、北の丸や靖国神社のある台地つづきの方が標高が高い=防禦上の弱点になる。そこで、本丸の守りを鉄壁にするために、これでもか!といわんばかりの巨大な濠で、台地続きから完全に切り離したのである。
同じく北拮橋門前から見た平川濠。土木量にだだただ圧倒される
徳川家康が入る以前の北条氏時代にも、ここには相当大きな堀があったはずだが、台地の上だから空堀だっただろう。空堀のセオリーはザックリ深さで守ること。深い空堀に落ちると、とても痛いからだ。これを徳川家は、大土木工事で幅と深さを併せ持った超強力な濠にしてしまった。乾濠から平川濠を眺めながら歩くと、江戸城が日本で最大・最強の城であることが、ひしひしと実感できる。
ところで、乾濠・平川濠を「山側の濠」、大手濠などを「海側の濠」とすると、山側から海側へ土地はどんどん低くなってゆくわけだ。そのままだと平川濠の水が大手濠の方にドバドバ流れて、空っぽになっちゃうはずである。
右手の石垣は平川濠の水位調整用ダムを兼ねた通路。画面中央奥の張り出しが平川門の枡形だ
この問題を解決するための工夫が以前、城門と虎口の回で取り上げた、平川門から北の丸へと抜ける秘密の通路だ。この通路が、ダムを兼ねているのである。工法上の問題と戦術上のオプションを一石二鳥で解決したこの工夫は、理解できると鳥肌ものだ。ただし、写真では説明しにくいから、ぜひ現地に行って自分の目で確かめてほしい。
