告発の「もう一つの動機」

 熊谷氏は、語学も堪能で教養もあり、外国人記者、特に女性記者から「日本人であんなチャーミングなビジネスマンには会ったことがない」といわれるほどの紳士でした。それだけに、彼の告発にあくどい目論見があったとも思えませんでした。

 彼の手記によれば、告発の表向きの動機は、ソ連がやっていることを日本人に知らしめるため、ソ連貿易に携わる商社の駐在員がどんなことをやらされ、どんな思いをしているかを知らしめること、などとされています。

 もちろんまったくその通りでしたが、私は担当編集者として彼と接触を重ねているうちに、それだけではないような気がしていました。

 ある時、思い切ってそのことについて彼に問いただしてみると、心を開いてくれていた熊谷氏は、それまで明かしていなかったもう一つの「動機」を教えてくれました。すでに熊谷氏は亡くなったので(後に作家として『最後の逃亡者』でサントリーミステリー大賞を受賞するほど筆の立つ人でした)、書いてもいいと思います。

 彼が告発に至ったもう一つの原因は、ソ連が、モスクワ赴任中の熊谷氏をKGBにリクルートするため、彼が親しくしていたロシア人女性(熊谷氏によれば男女の関係ではないとのこと)を利用しようとし、彼女を厳しく監視していたことにありました。しかも彼女に対し、「熊谷をKGBの協力者にできないときはお前になんらかの処分をくだす」と脅迫していたというのです。その事実を知った熊谷氏は、ソ連の悪辣なやり口にほとほと嫌気がさしたそうです。

 そこでモスクワ駐在中の熊谷氏は、その女性をソ連国外に逃亡させる手助けをし、その後日本に帰国。そして自らも手を染めたココム違反を告発する手紙を送ったというのです。告発にはそうした個人的な感情もあったのです。