(写真:ロイター/アフロ)
日本IBMといえばパンチカードシステムの時代からコンピュータの世界をリードしてきた世界的大企業です。日本法人も、1937年6月17日に創立され、今もIT企業の一翼をになう有名企業でもあります。その日本IBMで発生していたおよそ270億円もの不正決算をたった一人の日本人が内部告発して、修正させたことは、あまり知られていません。米国では、当時から企業内での公益通報制度、そして国内法での内部通報者の保護制度がしっかりしていたからです。
今回はたった一人で告発した中田均氏に、ご自身の体験と、兵庫県知事の問題での日本政府と日本人の対応についてどう考えているかについて、語ってもらいました。
ベテランスタッフからの相談
日本IBMが2005年、一部従業員の社内規定違反により、2億6000万ドル(約270億円)の法外な売り上げ減額を米国証券取引委員会(SEC)に報告したことは、日本だけでなく世界中の関係者をビクビクさせました。
修正は、最終決算報告前であり、米国証券委員会から問題点を指摘される前に、自ら報告したため、不法行為とはなりませんでしたが、社長候補と言われた役員も含め多くの関係者に対し、それぞれ厳しい事情聴取が行われたのち、解雇、降格、出勤停止などの処分が下されたのです。
この大がかりな不正会計は、たった一人の告発者、中田均氏によって明るみに出ました。まずは、IBM不正会計事件の詳細を追ってみます。告発を決意した時点での、中田氏の立場はネットワーク事業部所属の平凡なサラリーマン。担当していたのは、営業目標の設定、営業成績の予測、実績把握、そして営業報酬の関連業務などでした。もともと、コンピュータの将来性に関心をもち、大学は東京理科大で経営工学を専攻、憧れていた日本IBMにも合格しました。
もっとも、入社時は相当迷ったそうです。日本の大企業にも合格していたので、そちらで幹部候補生として活躍し出世を目指すか、あるいはコンピュータの世界でIBMはトップ企業とは言え日本IBMは海外の現地法人。その一員となって働くのか。迷うのは当然かもしれません。
ただ、日本企業の入社試験で役員を論破したりするなど、上司にもおもねらない自身の性格を考え、外資系で率直な物言いができて、会社中でお互いを「さん」付けで呼び合い、肩書では呼ばない社風が好きで日本IBMへの入社を決めたといいます。
事件発覚はそれからおよそ30年も後のこと。疑惑が浮上した段階では、彼自身もまだ半信半疑の状態でした。
最初に彼に「社内の数字がおかしい」と指摘してくれたのは、先輩で、日本IBMを退社後も契約社員として勤務し、営業実績をまとめていた人物でした。「特定の部門で、特定顧客に対する数字が、各四半期の最終月になると、決まったように高額な売り上げが計上されている」というのです。
この時点では、中田氏はまだ楽観的でした。四半期末に営業部員が頑張って、成績をあげているのは、いいことだと考え、不正とは思っていなかったといいます。
しかし、先輩が執拗に「おかしい」と連発するため、根負けした形で2004年第1四半期を過ぎた段階で、もう一度先輩の話を詳しく聞くことにしました。
