図1『滑稽富士詣』(仮名垣魯文著、文久元年)国立国会図書館蔵
(永井 義男:作家・歴史評論家)
江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。
弔いの後は女郎買い
現代、ある会社の社長が死去し、社葬がおこなわれたとしよう。葬儀に参列した男性社員の数名が帰途、「気分直しに、一発、抜こぉぜ」と、喪服のまま連れ立ってフーゾク店に行ったとしたら、どうであろうか。
もちろん、違法行為ではないし、社則に反するわけでもなかろう。しかし、社内に知れれば、「非常識である」「良識に欠けている」などと、非難されるであろう。女性社員に嫌悪されるのは確実である。社内で口もきいてもらえないかもしれない。だが、江戸時代の男にはごく普通のことだった。
戯作『松の内』(十返舎一九著、享和二年)で、葬式に参列した亭主が帰ってこない。女房が憤懣を述べる——
「悪い癖で、いつでも弔(とむら)いというと、そのあとは女郎買いよ」
——女房は腹立たしいものの、亭主の女郎買いを止めることはできないのがわかる。もちろん、戯作はフィクションである。だが、当時の読者が読んでも違和感はなかった。
戯作『自惚鏡』(振鷺亭著、寛政元年)には、吉原に泊まった客の男が夜中——
紙に包んだ弔(とむれ)え帰りの強飯(こわめし)と沢庵を出して、むしゃむしゃ食う。
——という場面があり、葬式帰りに妓楼にあがり、いわゆる会葬御礼の「おこわ」をむさぼり食っている。
もう一例、あげよう。戯作『春色梅美婦禰』(為永春水著、天保12年)で、お園という看板娘のいる、吉原にほど近い茶屋に、馴染みの五、六人の男が現われた。彼らはまず塩を求めて体に振りかける——
園「おやおや、忠さん、竜さん、まあ、何でございますえ。おそろいで塩がおいりなさるとは」
男「はかなしや、鳥辺の山の山送りす」
(中略)
男「そりゃあそうと、茶を飲んだらすぐに行こうじゃぁないか」
園「あれさ、まあ、今、お茶のいいのができますよ。お久しぶりだから、ちっと、ごゆるりとなすっても、よいじゃぁありませんか」
男「なあに、内へ帰ろうというのじゃあねえわな。廓(あっち)へやってもらおうというのだぁな」
園「おや、ほほほほ、さようでございますか。わちきも、あんまりうっかりでございましたっけね」
——「廓」は吉原のこと。男たちは葬式帰りに吉原に行くのだ。その前に、塩を体に振りかけ、清めをした。
お園は男たちの意図を知ると、眉をひそめるどころか、おかしそうに笑っている。男たちが葬式帰りに連れ立って女郎買いをするのは、いわば当時の風習だったのがわかろう。
