定信が考える「凶作の時に統治者がすべきこと」

 そんな定信が老中になったのは天明7(1787)年6月のこと。抜擢したのは第11代将軍の徳川家斉だが、このとき家斉はまだ13歳。実父の一橋治済の意向が強く働いた

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