知られざる難工事の歴史

 愛岐トンネル群については、明治中期の建造時における稀代の難工事にも触れておきたい。

 庄内川に接した急斜面の崖地に沿ったこの区間は、トンネルの地盤が軟弱で建設工事が難航し、現在は一番奥にある6号トンネルの建設では、建設途中に大規模な土砂崩れが2度、発生した。

 そのため、当初の計画よりも約80m手前にトンネルを延長して造られたが、工事中のアクシデントを防ぐため、ポータル(入口)のアーチ部分(迫石=せりいし)の煉瓦は、一般的な4枚巻きに対して、異例の7枚巻き(アーチ部分に煉瓦を7個ずつ積層)の厚さで組まれている。

 下部を補強する頑健な煉瓦製のインバートとともに保存状態は良好に保たれ、特にインバートは、ポータル地点からトンネルの奥まで延々と続き、NPOの尽力により見学路が整備されているので、春と秋の公開期間には、建設当時の状況を垣間見ることができる。

 6号トンネルの建設工事には結果的に当初の3倍以上に及ぶ約500万個の煉瓦が使用され、当時の中央本線でもっとも工事費の高いトンネルとなった。

 また、6号トンネル多治見側のポータルの両サイドは、シンメトリーに鳥が両方の翼を広げたように煉瓦が組まれており壮観だ。翼壁、もしくウイングと呼ばれるこの煉瓦構造物の技法を見られるトンネルは、碓氷峠のハイキングコース「アプトの道」に残る6号トンネルなど全国でも数カ所しかなく、愛岐トンネル群は車でのアクセスができないこともあり、煉瓦の精巧な造形を心ゆくまで鑑賞することができる。

6号トンネルのポータルのアーチ部分の煉瓦は異例の“7枚巻き”。稀代の難工事を物語る貴重な土木遺産だ(写真:筆者撮影)
6号トンネルの翼壁(ウイング)のサイドの煉瓦。意匠的にも優れているが、急峻な崖地でトンネルを支える明治期の煉瓦積層の技術が発揮されている(写真:筆者撮影)

廃線トンネル維持・管理のヒント

 村上氏は、前出の「トンネルサミット」の後でこう語った。

「苦労? 楽しさしかないです。年を取っても、やる気のある人が3人もいれば(廃線トンネルの維持・管理は)出来ますよ!」

 全国で、鉄道の廃線跡を観光に活用するケースが増えつつある中、地方部を主に人口減少、少子高齢化が進行し、廃線跡の保全の担い手が課題になりつつある。愛岐トンネル群でも定期的な草刈りなどの保全作業は欠かせない。

 しかし、村上氏の“やる気”が地域で同じ志を持つ人たちを集め、観光協会や商工会など地域の関係団体や自治体を巻き込んで、前述のイベントを成功に導いている。

 筆者はもう1点、愛岐トンネル群の公開が時期限定であり、前述の「森のビアホール」では事前予約制とするなど、許容量以上の無理をしない仕組みが秀逸に思う。

 秋の特別公開期間はかなりの人気があるが、中央本線定光寺駅からのゲートが1カ所のみで、駐車場も設けていないことで、極端なオーバーキャパシティを未然に制御できると感じる。

 一方で、「森のビアホール」などで地域における貴重な観光消費を生み出し、そうした取組をベースに、産業遺産としてのトンネル群の価値を永く後世に残そうと努めている。長く民間で仕事をされてきた村上氏の経営感覚のバランスの良さを感じるところだ。

6号トンネル出口(多治見側)。自生した1本の木が映える(写真:NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会)

愛岐トンネル群ホームページ(NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会)】
「森のビアホール」は、上記HPに記載の春日井市観光コンベンション協会ホームページより事前予約制。