のぶは黒井に静かなる抵抗を試みていたが、それが1937(昭12)年だった第30回を境に変貌する。日中戦争が起きた年である。のぶは石材店を営む朝田家の住み込み職人・原豪(細田佳央太)が第29回に出征したため、兵隊たちのために慰問袋を送り始めたところ、これに地元新聞社が目を付け、「愛国の鑑」と報じた。

 この報道に校長が大喜び。黒井にも評価されたことから、のぶは有頂天になり、嫌だった国家主義に染まっていく。19歳だったのだから、仕方がない。

戦中と戦後、価値観の転換に戸惑い悩む人々の姿を捉える巧みさ

 1939年(昭14)年だった第35回、のぶは小学校に赴任する。児童が作文で「はようお国のためにご奉公したいと思います」と書くと、「立派な心掛けです」と誉め讃えた。のぶの国家主義は揺るぎないものになっていた。

 中園氏は戦争に加担する特異なヒロインを描こうとしたのではなく、ごく普通の少女がいとも簡単に国家主義者に豹変する恐ろしさを見せたのである。少女ばかりではない。大人も同じだっただろう。日本のあちこちでそんなことがあったから、国は進路を間違えたのだと中園氏は暗に語り掛けた。

 のぶのモデル・暢さんが1946(昭21)年に高知新聞に入社し、記者になったことは分かっていた。これはのぶも踏襲しなくてはならない。小学校は敗戦後の同年の第61回までに責任を感じて辞めている。

 この時点で中園氏がのぶを教師にした理由が鮮明になった。敗戦後、正義の逆転によって大きく揺れた業界の代表格は教育界と新聞界なのだ。教育界では国家教育を強く推進した教師7000人以上が追放された。新聞界でも朝日や読売の大幹部や記者が追放されている。

 中園氏は誰かがつくり上げた空虚な正義を盲信したことによって、打ちのめされた人たちを敗戦前と後で切れ目なく描いているのだ。のぶは今後、やなせたかしさんをモデルとする柳井嵩(北村匠海)と逆転しない正義を探すが、その意義をより明確にするためである。鮮やかな構成だ。