1945(昭20)年8月、玉音放送が流れると、蘭子は「豪ちゃん、やっと終わったよ」とつぶやいた。豪は胸の中にいるからである。1939(昭14)年だった第37回に豪の戦死通知が届いてから6年が経っていた。

戦時中の厳しさは描くが凄惨な場面、刺激的な場面はあえて描かず

 戦時下の描き方も秀逸。「戦争編」とも称する向きもあるが、八路軍(中国共産党軍)や国民党軍との軍事衝突なんて一切描いていない。視聴者への刺激を避けた。

 軍隊には付き物の体罰の描写も抑えられた。やなせさんは著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)に「ビンタの嵐が吹き荒れる」と書いたが、物語でビンタが登場したのは第50回と第51回のみ。しかも第50回は映像を映さず、音声のみだった。ともに1942(昭17)年のことである。

 それでいて戦争の悲劇性は伝わった。嵩の幼なじみで軍隊仲間の田川岩男(濱尾ノリタカ)が、親しくしていた地元の少年リン・シュエリャン(渋谷そらじ)に射殺された。しかし射殺シーンも映像はやめ、音声にとどめた。敗戦が迫った1945(昭20)年春、第59回だった。

 リンにとって岩男は親の仇だった。中国にも「親の仇は討て」という言い伝えがあるから、リンは義務のように岩男を殺した。ただし、リンの胸は晴れなかった。人間としての岩男が好きだったからだ。争いや復讐からは何も生まれないことが表された。

 嵩は日本と中国の考え方の違いを目の当たりにして、絶対的な正義が存在しないことを知る。敗軍の兵士になったことにより、正義が簡単に逆転してしまうことも分かった。

 戦地での飢餓体験から空腹ほど辛いことはないことも実感する。空腹の人に自分の顔をちぎって与えるアンパンマンを発想する原点だった。