「過去最悪」の2つの意味
先ほど「過去最悪」と記しました。しかし、これは必ずしも正確な表現ではありません。というのも、過去のデータが残っていない時代が長いからです。
コロンブスが新大陸に到達した1492年、新大陸で梅毒に感染した隊員から伝染したという説が濃厚ですが、こういう病気の蔓延は素早いようで、欧州では早くも1494~95年に梅毒の流行が確認されています。
日本でも初めて梅毒らしき病気が確認されたのは1512(永正9)年で、コロンブスの新大陸到達からわずか20年しか経っていません。
日本にも病原菌(梅毒トレポネーマ、スピロヘータ科の細菌)は到達し、京都で「唐瘡」(とうも)または「琉球瘡」(りゅうきゅうも)と呼ばれる性病らしい悪疫が流行と記録にある。
それ以来の513年という意味では、正確な統計は残っていません。
しかし、梅毒の発症に「報告義務」ができた1948年以降のデータは確認できます。
確かに、1948(昭和23)年時点で、日本には(少なくとも)22万人、梅毒患者が確認されていました。終戦直後の混乱期ですから「最低でも」と理解すべき数字でしょう。
それが急速に減少したのは「抗生物質」の威力によるものです。
第2次世界大戦終了まで、日本の梅毒患者は何十万人単位で存在していたはずですが、ペニシリンの普及で急速に減り、昭和の東京オリンピックが開催された1964年には5000人ほどまでに減少しました。
ところが、1960年代後半=昭和40年以降、梅毒患者は倍増し、年間1万2000人近くに達してしまいます。
でも1万2000人です。現在は1万4000人を超える勢いなのです。
つまり、一つの意味合いとして、ペニシリンなどが普及した「戦後」最悪という意味で、現在は過去最悪の状況と言えそうです。
この急増、理由はほぼ明確で、「風俗営業店の急増」によると考えられています。
実は、上記1964年の「東京オリンピック」に向けて、東京を中心に「浄化運動」が全国展開していたため、風俗店の新規開店などに歯止めがかかっていたというのです。
そもそも1958(昭和33)年「売春防止法」が施行され、入れ替わりに「室内で突然、自由恋愛状態に陥る」というストーリーで当時は「トルコ風呂」などと呼ばれた「特殊浴場」が登場しだします。
初年度都内だけで33店舗、全国で100強を数えました。これに「東京オリンピック」が歯止めをかけていたわけです。
ところが、五輪明けの1966年、反動というのは恐ろしいもので、全国で706店舗を数えるに至ります。特殊浴場は風俗営業法の適用を受けて正規の調査が入っているため、店舗数が把握されています。
ちなみにこの規模は、その後、行政による制限が設けられているため、いまも大きくは変わらないようです。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生した2019年時点で、日本全国で届け出のある特殊浴場店舗数は1207、コロナ後の2021年でも1185と、横ばい状態が続いているとのこと。
さて、昭和40年代の梅毒急増に対して、厚労省や各地自治体、保健所などの当局は、衛生管理の強化で対抗します。
加えて、昭和50年代末にはさらに新たな性感染症AIDSが登場したこともあり、衛生コントロールの徹底で「梅毒」はほぼ撲滅された病気と認識された時期もあったのです。
現在に直結する統計の数字は、感染症法による調査に基づいています。
これが始まった1999年以降、2000年代には新規梅毒患者確認数は年間500~800人程度まで抑え込まれました。
ということで、2000年以降「21世紀の正確な疫学統計」に即して、「過去最悪」の梅毒大流行というのは間違いありません。
これ2000年以降の10年間ほど、梅毒は根絶されかけた「希少疾患」の扱いとなっていたのです。
ところが2010年代に入ると、なぜか再び増加傾向が見え、東日本大震災後の2013年には1223人と1000人を超え、以後、2018年の7002人をピークに患者数が2000年からの10年間に比べ1桁増えてしまった。
さらにコロナ禍以降の2020年代に入ると、患者数は突如「倍増」してしまいます。
2021年には7873人だったものが、2022年には1万2966人、2023年は1万4906人、2024年は1万4663人、突然の「倍」増です。
不思議ですね。なぜ突然急増、しかも「倍増」なのか。2010年以降、また2020年以降、日本で一体何があったのでしょう?