転職もまるで「転売ヤー」的感覚

 昨今の「コスパ・タイパ追求社会」では、カネを短期間に効率よく稼ぐ人だけがもてはやされがちです。転売ヤーが跋扈(ばっこ)する背景には、そうした価値観の広がりがあるのではないでしょうか。

 電車に乗ると必ず目にする転職関連の広告にも、どこか似たような違和感を覚えます。まるで、誰もが自分の労働力を「メルカリ」に売りに出す「転売ヤー」になっているかのようです。「自分の価値を最大限に高め、より良い条件を求めて移動する」ことは、個人のキャリア形成においては合理的な選択とされています。しかし、本当にそれだけでいいのでしょうか。

 かつての日本企業(JTC=Japanese Traditional Company)が元気だった頃、入社後数年間は若手をじっくり育てる環境がありました。昭和63年から平成3年までの3年間、私もJTCの象徴のような企業に奉職していましたから、ノルマの厳しさもある一方で、そんな環境の恩恵も数多く受けました。

 しかし、その後、景気悪化とともに短期的な成果が求められるようになり、「将来性」よりも「即戦力」が重視されるようになりました。まさに「コスパ」や「タイパ」といった価値観が、人間にまで及んでいったのです。

 マルクスが『資本論』で説いたように、資本主義は人間をモノとして扱い、自己肥大化を続けるメカニズムを内包しています (この辺りは拙著『落語で資本論』に記しました)。この「一億総転売ヤー」のような感覚の浸透が、私たちを生きづらくさせていると思えてなりません。

 落語などの古典芸能の世界には、「芸は草かんむり」という言葉があるのですが、それは「草かんむり=植物」のように、じっくりゆっくり育てていくべきものだという考え方に由来します。そんな世界で生きてきた者の時代遅れな考え方だと笑われるかもしれません。でも、お金をたくさん稼ぐ人だけが見事なわけではなく、目先のタイパやコスパだけで割り切ってはならぬ、大切なものもあるでしょう。