これに対して、イラン側よりは、イスマイル・ハティブ情報相が、イスラエルの核施設に関する「重要な戦略的、運用的、科学的な情報」を含む大量の機密文書を入手したとして、近いうちにこれを公表するとして、IAEAでのイランに関する理事会開催のタイミングを捉えて、情報戦が仕掛けられてきています。

 これについて、グロッシIAEA事務局長は、すでにIAEAの安全保障措置の対象となっている、テルアビブに近い「ソレク原子力研究センター」のことではないかと指摘しています。イスラエルの核兵器保有が疑われるネゲブ砂漠のディモナの核施設に関わる情報かどうかは別としても、少なくとも「イスラエルが核の平和利用を行っている以上、イランが核の平和利用を認められないのはおかしいではないか」という主張を米国との交渉において認めさせる上で、イランとして活用価値が高い情報が含まれていることは確かなのでしょう。

核交渉に差した一つの光明とは

 それでは、今後、この危険な綱渡りのような核交渉はどのように進むのでしょうか。

 核をめぐる交渉の特徴は、通常の外交交渉以上に高度に技術的なところにあります。この点で、今回の交渉にひょっとするとブレイクスルーが起き得る可能性を秘めているのは、「ウラン濃縮コンソーシアム」というアイデアです。どうやら、イラン側は、このコンソーシアムがイラン国内に作られるならば、米側の提案を検討する余地があることを示唆している模様なのです。

 というのも、イスラム革命以前のイラン王政時代の1970年代に、イランはフランスに設立されたコンソーシアムからウランを調達することを試みた経験があるからです。

 1973年、フランス、ベルギー、イタリア、スペイン、スウェーデンの5カ国が、フランス国内にウラン濃縮施設を運営するための株式会社「ユーロディフ」を設立しました。1975年にはイランがフランスとの合弁会社「ソフィディフ(Sofidif)」を通じてユーロディフの10%の株式を取得しています(ソフィディフはフランス60%、イラン40%出資、ユーロディフの25%を所有)。

 フランスのトリカスタンに設置されたこの濃縮施設は、原子炉用ウラン燃料を供給しました。イランはその施設建設のために10億ドル以上を投資し、濃縮ウランの購入権を得ましたが、イスラム革命勃発という大きな政治状況の変化により、イランは一度も燃料を受け取ることはありませんでした。

 1979年のイスラム革命後、イランは支払いを停止し、後に返金または燃料の受け渡しを求めて長期の法的紛争に発展しました。最終的には金銭的な解決に至りましたが、燃料の供給は行われませんでした。