陣立書の登場と普及

江戸時代の行列図(大名行列の編成図)も、原則この書式で記されている。陣立書と行列図の連続性を無視することはできない
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 さて、川中島合戦の頃から「陣立書」という全く新しい史料が現れ始める。「陣立書」の定義は難しいのだが、部隊の編成または軍隊の配置を定めた設計書だと言っておこう(余談ながら、動員人数と指揮官の名前を書いているだけの史料に「陣立書」の用語を当てる例があるが、見直しの余地がある:乃至政彦「戦国期における旗本陣立書の成立について」参考)。

 特に部隊編成の内訳を記す「旗本陣立書」には、それ以前の軍隊と異なる点がある。先頭に「置き盾」が設定されていないのだ。

 戦場に部隊を布陣する時、普通は最前列に盾を置く。何らかの防御用具を使う。ところが〈兵種別編成〉の「旗本陣立書」にはこれが書かれていない。ここから「旗本陣立書」は移動式であって、戦場の布陣を記すものではないことが読み取れる。

 これが全国的に広がっていき、豊臣秀吉の時代には、日本中の大名が、上杉謙信の「車懸り」を習得して扱うようになっていくのを、諸大名の「陣立書」に確かめられる。

 江戸時代になると、この「旗本陣立書」そっくりの配置表が諸藩で大量に作られている。いわゆる「大名行列」の設計図だ。参勤交代、改易実行に使われる大名行列は、原則として〈兵種別編成〉であった。

 

【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。