「打ち壊し」が起きた江戸時代や米騒動があった大正時代に比べて現代は格段に豊かになり、米の以外の食品も容易に入手できることから、米価高騰は日本人の生活にとって致命的に大きな問題ではない。だが、日本人の遺伝子は米不足に敏感である。そのために、いくら米は足りているとの報道があっても高騰が続き、スーパーの店頭で品薄状態が続く。
石破内閣がなんらかの手を打つとしたら、もはや食管法の時代ではないが、ガソリン価格の高騰に対して岸田内閣が打ち出した補助金のような対応は可能であろう。補助金行政は好ましくないが、政権の人気取りとしては有効である。
棚田で知られる岡山県・上籾で、伝統的な方法によって稲を乾燥させている様子(資料写真、2024年9月7日、写真:AP/アフロ)
日本人の心情を理解していた東條内閣
東條内閣は石破内閣より米不足に対して感度が良かった。
食管法は1942年2月に制定された。太平洋戦争は1941年12月に始まったが、食管法が制定された時点において日本軍は東南アジアで快進撃を続けていた。日本の南方進出は石油などの資源確保が目的であったが、当時から東南アジアでは米が大量に生産されており、そこを確保すれば米不足も解決できると考えられていた。
それにもかかわらず東條内閣は食管法を制定した。それは寺内内閣が倒れた記憶から、主婦層が米価に関して敏感であることをよく理解していたからだろう。
石破内閣は東條内閣より日本人の心情への理解が足らないようだ。石破内閣がいつまで続くか分からないが、この7月には参議院選挙がある。その選挙で国民が米高騰に無関心だった自民党にどのような審判を下すか見物である。