「今年のキャベツの生育は順調」だが…
市場さんの自宅前に組み立てられた栽培ハウス内では3月に種をまいたキャベツが一斉に発芽し小さな葉が床一面にズラリと並んでいた。

キャベツの種は南米のチリや欧州のイタリア、フランスから国内の種苗業者が輸入しており、キャベツ農家はこの種苗業者から種を仕入れている。時には国内の新潟・佐渡島や沖縄・八重山諸島の石垣島からもキャベツの種を取り寄せるという。
「キャベツの種はおよそ110種類もあるのですが、浅間山のふもとの大自然によって、どんな種類のキャベツも収穫時には立派な嬬恋キャベツになりますよ」
今でこそ雪化粧が美しい浅間山のふもとに雄大なキャベツ畑が広がっているが、もともとは農産物の生産には適さない土地だった。嬬恋村から軽井沢へ抜ける道路の途中に「群馬県知事神田坤六(かんだ・こんろく)題額」と題した記念碑がぽつんと立っている。碑面にはこんな言葉が彫られていた。
≪無から有を生むことは言い易くして難い 浅間高原に栽培され今や全国屈指の特産として知られる嬬恋甘藍(筆者注:かんらん=キャベツ)は三十三年前に今日の繁栄をもたらす有の一粒が播かれた 古来この村は高冷地のため村民の営々辛苦も甲斐なく働けどなお貧苦に低迷した 最早や万に一つの奇蹟を信じるほかはなかった 昭和七年隣県上田市の青果業青木彦治翁が田代村を訪れ甘藍の試作を熱心に奨めたのを契機に年毎に作付反別が拡大され各方面の助成と篤志家の協力により今日の大を成す(以下略)≫

記念碑建立の日付は昭和40年10月。明治時代に当初は葉ボタンとして鑑賞用に導入されたキャベツは、碑にあるように昭和初頭から次第に食用としての栽培が広まり、現在では約35品種のキャベツが栽培されている。農作物が育たない火山灰の大地は、昭和初頭にキャベツの種を植えたことがきっかけで奇蹟を呼びその後、大きな飛躍を遂げることになったのだ。

見渡せる限りキャベツ畑が広がる嬬恋村の風景はスペクタクル感いっぱいだ。「今年のキャベツの生育は順調」ということで、市場さんの顔からも自然と笑顔がこぼれるが、将来は決して明るいことばかりではないと明かす。