
(山上信吾:前駐豪大使)
外務省の全てを知る前駐豪大使・山上信吾氏が、これまで語られることがなかった日本外交の闇に鋭く言及。アメリカ、中国、ロシアとどう対峙していくべきかを提言する。
※この記事は、『国家衰退を招いた日本外交の闇』(山上信吾著、徳間書店)から一部抜粋・編集しました。
弱腰外交の原因
外務省を退官した今、日本各地で講演をし、メディアのインタビューに応じるたびに必ず聞かれる質問がある。
「なぜ、日本外交はあんなにも弱腰なのですか?」
「なぜ、外務省は毅然と物申さないのですか?」
こう聞かれると、私は三つの要因が合わさっていると答えるようにしている。外務省に大きな問題があるのを否定する気持ちはさらさらないが、同時に、いくつかの要因が絡み合っているだけに、外務省だけを責めても日本外交はなかなか変わらないのではないか、との思いもあるからだ。
第一の要因は、日本人の国民性だ。
「和を似て貴しとなす」が日本人の誰もが親しんだ教えであり、社会の底流にある大きな流れでもある。まず誰もこれに正面から抗おうとはしない。
特に、領土問題、国家の主権や尊厳に関わる問題、歴史認識問題などでは、「同意する」よりも「見解、立場が違う」と言い続けなければいけないことがしばしばだ。しかしながら、日本外交は妥協してはいけない問題で妥協してきた面が多々ある。
第二の要因は、外務官僚の多くが共有している外交観、すなわち妥協癖だ。
こうした外交観に囚われた者と、それに対する批判が顕著に表れた例を挙げよう。
北朝鮮との交渉で作成された「日朝平壌宣言」の文言である。2002年9月に当時の小泉純一郎総理が北朝鮮のピョンヤンを訪れて金正日総書記と首脳会談を行い、拉致問題の存在を口頭で認めさせた。にもかかわらず、両政府間で作成した文書では「日本国民の生命と安全に関わる懸案問題」という抽象的な表現にとどまり、「拉致」という文言を盛り込むことができなかった。当時の関係者の話を踏まえると、5人の拉致被害者の帰国を確保できた以上、拉致問題への文書での言及を粘り強く追求することは諦め、相手を刺激しないような安易な妥協に流れたと言って過言ではないだろう。
平壌宣言の関連部分の記述は、以下の通りだ。
「日本国民の生命と安全に関わる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」
その後、北朝鮮は、拉致問題は解決済みと言い続け、残る拉致被害者の帰国を実現できないままに年月が徒過してきた。「拉致」の一言を盛り込めなかったこと自体が、その後の顛末のきっかけを作ってしまったとの批判が絶えない。
弱腰外交の三つ目の要因は、政治家の胆力の欠如である。
「政治主導」の時代と言われて久しい。外務官僚の間に如何に妥協性向が強かろうが、外交交渉について政治的責任を負うべき立場にある総理、外務大臣といった政治家がしっかりとした座標軸をもって臨むのであれば、弱腰に流れることはない。例えば、「交渉がうまくいかなければ席を立って帰ってきてもいい」と言われれば、官僚はむしろシャカリキになって頑張ること請け合いだ。しかしながら、そんな指示を日本の政治家が出すことはまずない。むしろ、「(当初の交渉ポジションから)降りてもいいから、何とかまとめてこい」と言うのが圧倒的だ。
また、多くの政治家自身も外国人の前に出ると借りてきた猫のように小さくなり、共通項、妥協点を見出そうとする。
国内で官僚相手に人事権を振りかざして辣腕の官房長官を演じていた、菅義偉氏のような政治家も例外ではない。総理になって官邸で外国要人を迎えた際には、オドオドと所在なげに振る舞い視線が泳いでいたが、残念ながら、これが日本の多くの政治家の習熟度と外交力を端的に象徴している。