なぜ縄文時代が注目されるのか
彼らの目指す世界がユートピアなのかディストピアなのかは分かりません。しかし、これが、今、私たちが依って立っている民主主義の基盤を大きく切り崩すものであることは確かです。
この点について、ティールは「自由と民主主義は両立しない」と断言しています。つまり、民主主義を維持する限り、彼らが目指す本当の自由は手に入らないというのです。
こうした資本主義の中と外という議論との関連で思い出すのが、ブラジルのアマゾン川支流で暮らす先住民族の研究を通して、『悲しき熱帯』で「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という有名な文章を記した文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースです。
彼は、フェルディナン・ド・ソシュールに始まる構造主義の考え方を、神話、親族制度、儀礼、食文化など人類学に応用し、ヨーロッパ中心主義を批判しました。その思想は、ヨーロッパ文明の自己中心的な拡張に対する批判だけでなく、20世紀的な人間中心主義(ヒューマニズム)へのアンチテーゼでもありました。
同様な視点から思い出すのが、映画『イントゥ・ザ・ワイルド』です。これは、自然に憧れ、全ての所持品と身分を捨ててアメリカ各地を放浪し、最終的にアラスカの原野で衰弱死した実在の人物クリストファー・マッカンドレスの人生を描いたものです。
マッカンドレスは、19世紀アメリカの思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン 森の生活』に強い影響を受けていました。これは、ソローがマサチューセッツのウォールデン池のほとりに建てた小屋で、「本当に豊かに生きるとは何か?」という問いに向き合いながら、およそ2年間、自給自足の生活を送った体験を綴ったものです。今でも環境運動やシンプルライフ、カウンターカルチャーなどに大きな影響を与え続けています。
日本でもここ数年、日本人が自然を征服し、農耕文化が定着した弥生時代に対し、自然との共生や精神性の豊かさを重視した縄文時代に注目が集まっています。
弥生時代はわずか600年足らずで終了しましたが、縄文時代はそれ以前の約1万年(紀元前1万1千年頃から紀元前400年頃)もの長きにわたり、大きな争いもなく社会が続いた、人類史的に見ても非常に稀な時代です。そして、成長や競争ではなく、循環や調和に重きを置いた縄文人の精神性は、大和言葉を通じて現代日本人の精神に脈々と受け継がれているとするのが、縄文文化研究者の小林達雄です。