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「マネジメントの父」と呼ばれ、日本では1956年発行の『現代の経営』以来、数々のベストセラーを生んだピーター・ドラッカー。日本の産業界に多大な影響を与えたと言われる一方、その人物像が語られることは少ない。本稿では『ピーター・ドラッカー ――「マネジメントの父」の実像』(井坂康志著/岩波新書)から内容の一部を抜粋・再編集。没後20年となる現在も熱心な読者が絶えないドラッカーの人生と哲学、代表的な著書が生まれた背景を紹介する。

 時の首相が読み、一般にも話題を呼んだ『断絶の時代』が生まれた背景と、ドラッカーが予見した「知識社会」とは?

『断絶の時代』(1969年)

 何をしているかと人に問われると、「変化を見て、書いている」と答えるのがドラッカーの常だった。

 1960年代後半、時代の転換点に立っていると彼は感じていた。何より痛感されたのは社会の健全性が失われつつあることだった。言い方を変えれば、極端な産業化で社会の生態が破壊されつつあることだった。

 国家も自治体も企業も社会の中にあるのだから、社会の一員であることを否定できるはずがない。社会を意識できないということは、他者への著しい鈍感を生む。1969年の『断絶の時代』はその点を指摘したことによって、数多いドラッカーの著作の中で最高峰をなすものの1つと言ってよいだろう。次のように彼は序で述べている。

「関心は、すでに起こったこと、およびその課題と機会にあった。明日の世界の急所を探した。明らかであるにもかかわらず、まだ知覚されていないものを探した」

 疾風怒濤の1960年代、産業の論理への埋没から社会矛盾が噴出した。公害問題やベトナム反戦運動、公民権運動等が激しく燃え上がった。環境問題への警鐘となったレイチェル・カーソン『沈黙の春』(1962年)は自然環境汚染を鋭く批判し、GMの欠陥車問題と対応の失敗はラルフ・ネーダーによる消費者運動を昂進させた。