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「マネジメントの父」と呼ばれ、日本では1956年発行の『現代の経営』以来、数々のベストセラーを生んだピーター・ドラッカー。日本の産業界に多大な影響を与えたと言われる一方、その人物像が語られることは少ない。本稿では『ピーター・ドラッカー ――「マネジメントの父」の実像』(井坂康志著/岩波新書)から内容の一部を抜粋・再編集。没後20年となる現在も熱心な読者が絶えないドラッカーの人生と哲学、代表的な著書が生まれた背景を紹介する。

 1959年のドラッカー初来日の様子、日本における特有の人気、そして経営者たちによる受け止め方について見ていく。

「猛烈」に受容した人々

 QCサークルのエドワード・デミング、品質管理のジョゼフ・ジュランらが次々に来日するなど、最新の経営モデルへの日本からの渇望に呼応して、アメリカ組織論の移植が活況を呈した。

 ドラッカーについて言えば、『現代の経営』刊行を機に、日本からの帰依に似た支持が生まれた。これは、ドラッカーの「土着化」の端緒と言えよう。ドラッカー思想のヨーロッパでの影響を研究したドラッカー協会ロンドン代表のピーター・スターバックは、「日本におけるドラッカーの成功は、ビジネス・リーダーの間で、人間国宝に匹敵する」と述べている(Starbuck, Peter F. Drucker: The Landmarks of His Ideas )。

 現場にまでドラッカー著作は熱烈に受け入れられていた。熱気あるレポートが話題を呼んだ記事が、当時の様子を知るうえで参考になる。

「勉強会は月7回だが、その中身は、まさに「猛烈」そのもの。月7回のうち3回は昼間の部で、公休の木曜日を利用して午前10時から午後6時まで。残りの4回は夜間で、隔週の火、金曜日に午後11〜午前6時まで文字通り徹夜勉強会である。場所は本社の近くにある独身寮会議室。会員は120人で、社歴5〜7年、24〜28歳代の人が多く、学歴別は大卒1、高卒2の割り合いとなっている。〔略〕テーマは、経営学者ドラッカーの経営学と流通、マーケティングの3点」(『近代経営』1969年4月号)