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「マネジメントの父」と呼ばれ、日本では1956年発行の『現代の経営』以来、数々のベストセラーを生んだピーター・ドラッカー。日本の産業界に多大な影響を与えたと言われる一方、その人物像が語られることは少ない。本稿では『ピーター・ドラッカー ――「マネジメントの父」の実像』(井坂康志著/岩波新書)から内容の一部を抜粋・再編集。没後20年となる現在も熱心な読者が絶えないドラッカーの人生と哲学、代表的な著書が生まれた背景を紹介する。

 ドラッカーが渋沢栄一の業績を高く評価した視点、技術の変化が人間と仕事にもたらす影響とは?

渋沢栄一

『断絶の時代』が刊行された1969年は、初来日から10年目にあたる。それまでに、美術はもとより、歴史と文化からも日本への造詣を彼は深めている。日本への言及も『断絶の時代』には頻繁に見られる。

 改めて近代史を見る時、ドラッカーの目前に浮かび上がってきたのが日本の明治維新だった。西洋文化を果敢に取り込みながら、大きな犠牲を払わず近代化を成し遂げた明治維新は、保守革命の手本と彼の眼には映った。

 序では「明治維新百年」への祝意を表してもいる。日本の改良能力を高く評価し、それは「日本の西洋化でなく、西洋の日本化」だったと彼は語っている。

 ドラッカーの著作を見ると、1954年の『現代の経営』に日本への言及は皆無である。少しずつながら言及が見られるのは1959年の『変貌する産業社会』からであり、日本訪問時期とそれは絶妙に一致している。1960年代の『創造する経営者』『経営者の条件』のあたりから徐々に日本企業、経営者への言及頻度は上がり、『断絶の時代』で極点に達している。

 経営者との人的交流、彼らとの相互作用のうちにドラッカーの日本観は育まれていた。ただし、その日本へのまなざしはいわゆる経済や産業等にとどまらない。欧米人が日本に対して差し向けがちな型どおりにはとらえずに、生き生きと日本をとらえている。その1つに実業家・渋沢栄一への言及がある。