検校の妻となる瀬川「最後の花魁道中」の切なさ

 今回の放送で最も話題になったのが、蔦重が瀬川に『青楼美人合姿鏡』を手渡して、自分の夢を語ったシーンである。

「俺は吉原を楽しいことばかりのとこにしようと思ってんだよ。女郎がいい思い出いっぺえ持って、大門出てけるとこにしたくてよ。いい身請けがゴロゴロあって、年季明けまでいるやつなんかほとんどいねえのよ。吉原来りゃ人生開けるなんて言われてよ」

「馬鹿らしゅうありんす」と笑う瀬川に、蔦重は「な。馬鹿みてえな昼寝の夢みてえな話だ」としながらも「けど……お前も同じだったんじゃねえの。こりゃ、2人で見てた夢じゃねえの?」と問いかけながらこう宣言した。

「だから、俺はこの夢から覚めるつもりは毛筋ほどもねえよ! お前と俺をつなぐもんはこれしかねえからよ。俺はその夢をずーっと見続けるよ」

「そりゃまあ、べらぼうだねえ」と泣きながら、笑顔を見せる瀬川。蔦重の語った夢を思い返しながら、最後の花魁道中を披露することとなった。

「花魁道中」とは、呼び出された花魁が、禿(かむろ:遊女になるべく修行する少女)や振袖新造(ふりそでしんぞう:客を取れるようになった新米遊女)を従えながら、遊女屋と揚屋(あげや)・引手茶屋(ひきてぢゃや)の間を行き来することをいう。

 流れとしては、客はまず引手茶屋や揚屋に赴いて、芸者の芸を眺めながら、酒を飲んで食事を楽しむ。その間に、花魁は客が待つ揚屋へと向かうことになる。移動の際には、5~6寸(約15~18cm)もある黒塗り畳付きの高下駄を履き、「外八文字」という歩き方で行進を行う(当サイト記事「『べらぼう』蔦屋重三郎が生まれ育った吉原で火災が多かったワケ、遊女が放火して全焼させることも」参照)。

 今回の場合、瀬川が向かうのは吉原大門の外だ。外では、身請けする鳥山検校が待っている。まさに最後の花魁道中となった。最後に蔦重は前を向いたまま、瀬川を見送った。

 瀬川と蔦重の姿は切なくもどこか力強く、心が揺さぶられた。SNSでは「瀬川の卒業ライブ、感動した!」「瀬川姉さんの卒業ライブ」「推しの卒業ライブだった…」という声も見られ、推しのアイドルやアーティストを見送る心境にいたった視聴者もいたようだ。

 この吉原の大門を、瀬川は蔦重とくぐることを夢見たが、叶わなかった。そして今はこうして皆に見送られて、堂々と大門をくぐることになったが、晴れやかな心境とは言い難いだろう。「どう生きるか」と同じくらい「誰と生きるか」が人生では大切なのだと、感じ入るものがあった。

 だが、瀬川に語った夢に少しでも近づくためには、蔦重に落ち込んでいる暇はなさそうだ。次回「富本、仁義の馬面」では、浄瑠璃の「富本節」で人気を呼んだ富本豊志太夫(とみもと とよしだゆう/初名は午之助)が登場。蔦重は吉原のビッグイベントに午之助を呼ぼうと奔走する。

【参考文献】
『江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活』(安藤優一郎著、カンゼン)
『図説 吉原遊郭のすべて』(エディキューブ編集、双葉社)
『蔦屋重三郎』(鈴木俊幸著、平凡社新書)
『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(鈴木俊幸監修、平凡社)
『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(倉本初夫著、れんが書房新社)
『なにかと人間くさい徳川将軍』(真山知幸著、彩図社)

【編集部より】冒頭の花魁道中の写真を差し替えました(3月16日)

【真山知幸(まやま・ともゆき)】
著述家、偉人研究家。1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年より独立。偉人や名言の研究を行い、『偉人名言迷言事典』『泣ける日本史』『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたか?』など著作50冊以上。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は計20万部を突破しベストセラーとなった。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などでの講師活動も行う。徳川慶喜や渋沢栄一をテーマにした連載で「東洋経済オンラインアワード2021」のニューウェーブ賞を受賞。最新刊は『偉人メシ伝』『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』『日本史の13人の怖いお母さん』『文豪が愛した文豪』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』『「神回答大全」人生のピンチを乗り切る著名人の最強アンサー』など。