「きれいごとは現実になる」わけではない

橘:そもそも、「DEIを推進すると差別や偏見がなくなる」というのは事実でしょうか。少なくとも、多様性研修の効果が学術的に検証された事例を私は知りません。

 リベラルの大きな過ちは、「きれいごとを主張し続けると、いずれそのきれいごとが現実になる」と信じていることです。もちろん「差別のない世界」を目指すべきですが、いかがわしいコンサルティング会社が売り込む多様性セミナーをいくらやったところで、差別はなくならないでしょう。

 スタンフォード大学で差別や偏見を研究する社会心理学者のジェニファー・エバーハート氏は黒人女性ですが、『無意識のバイアス――人はなぜ人種差別をするのか』(明石書店)で、「DEI研修を受けると、逆に人種差別的になるおそれがある」と述べています。

橘 玲(たちばな あきら) 1959 年生まれ。作家。2002 年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年刊行され、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30 万部を超えるベストセラーに。2006 年、『永遠の旅行者』が第19 回山本周五郎賞候補作となる。2017 年、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で新書大賞受賞。近著に『世界はなぜ地獄になるのか』、『テクノ・リバタリアン』など。

 心理学に「ライセンス効果」というものがあります。2008年の大統領選で(黒人の)オバマ氏に投票した白人被験者と、(白人の)マケイン氏に投票した白人被験者に、架空の採用担当者になってもらった興味深い実験があります。

 それによると、経歴などの条件がまったく同じ白人と黒人の応募者がいた場合、オバマ氏に投票した被験者は、マケイン氏に投票した被験者よりも、白人の応募者を採用する率が高いことがわかりました。「私はオバマに投票したのだからレイシストであるはずがない」というライセンスを与えられたことで、現実には人種差別的な行動をとってしまったのです。

 逆にマケイン氏に投票した白人被験者は、ライセンスを持っていないため、「差別主義者と思われるかもしれない」と不安になって、黒人の応募者を採用したのです。

──DEIを推進すると、むしろ逆効果になってしまうこともあると?