「私は『Hanada』を自分の雑誌だと思っていました」
──「いい意味で無責任だから面白い雑誌が作れる」とも書かれていましたが、編集者や編集長には、保守やリベラルといった思想や主張が明確にないほうがいいと思いますか?
梶原:んん~。『Hanada』はちょっと出版の形態が特殊なのです。
普通は雑誌を出す出版社があって、そこに就職した人の中で誰かが一時期編集長になり、その人の下に別の人が配属されて、だいたい2、3年で上も下も入れ替わる。そして、その雑誌の持つ一定の幅の中で、その体制で論調や書くテーマが決まっていき、やがて編集長が変われば方向性も変わる。
ところが、『Hanada』の場合は、編集長がずっと変わらず、中の人もほとんど変わっていません。
ある別の大きな月刊誌の編集部の人から、私のような悩みを、他の雑誌の編集員たちはそれほど持っていないと言われたことがあります。
たまたまその時にいた人が作っている雑誌があり、ある程度の内容の幅の中でそれらしい雑誌の形態にすることが仕事だから、そこで働く人たちは、その中で無理に自己実現をしようとは考えない。「君の雑誌でもないのに何を悩んでいるの?」と言われ、「私が勘違いしていたのかな」とも考えました。
私は『Hanada』を自分の雑誌だと思っていました。編集長ではないし、編集長になりたいと思ったこともありませんが、でも自分がそこにいる以上、そこにいる意味を表現しようと思うじゃないですか。
私が『Hanada』の中で強い主張を持てたのは、自分と雑誌のイデオロギーが近いと感じていたからです。逆にその感覚が合わなくなってくると、そこにいることが辛くなります。
──花田編集長は人生も波瀾万丈で、性格的にも独特な方だという印象があります。花田さんと働くのは、どのような感じですか?
梶原:仕事にはメチャクチャ厳しいですが、パワハラ気質はありません。ボーイズクラブ的でもないので、セクハラ発言もありません。社員にある態度や心構えを求めることもなく、私は花田編集長から圧力をかけられたことは一切ありません。
花田さんが昔、別の編集長のもとで働いていたときに編集長に意見したら、「それは君が編集長になったときにやって」と言われたことがすごくショックだったそうです。絶対そういうことは言わないと決めているそうです。
だから「何でも言ってくれ」と言われていましたし、事実、私は何でも思ったことを言ってきました。そのことにより花田さんが機嫌を悪くして、不利益を被るような処遇を与えられるようなことはないという信頼感があり、それはありがたかったです。