右翼でもないのに右翼雑誌を作っている編集長

──梶原さんは、そもそもどのようにして保守思想に傾倒していったのですか?

梶原:私の父は自衛官でした。小学校の時に「あなたのお父さんの仕事は嫌われているから外で言わないほうがいいよ」と学校の先生から言われたことがありました。その時は、それがどういう意味なのか分からず、どこか気の毒で、父にもそう言われたことは言えませんでした。

 高校に入ると、警察官の子の友達ができて、その子も父親の仕事が世の中で嫌われていると言われた経験がありました。その時点ではまだ、なぜ自衛官や警察官がそういう目で見られるのかはよく分かりませんでしたが、やがて大学に進学して、憲法のことなどを学ぶ過程でその意味が分かるようになりました。

 私はメディアに対する不信感も抱えていました。90年代前半にサッカーのJリーグが始まると、メディアが一斉に「野球は終わった」と言い始めた。当時私は中学1年でしたが、メディアがそういうことを言うものかと驚愕しました。

 今思えば、それ以前までサッカーが虐げられていたから、巻き返す意味でメディア各社はそうした強い言い方をあえてしていたのかもしれませんが、「将来スポーツ新聞の記者になってフェアな記事を書きたい」と当時、学校の英語の課題の将来に関する英作文に書いた記憶があります。

 中学2年になると、いじめを苦に自殺する中学生の話が次々と報じられました。同じような状況で苦しんでいる子が、報道を目にすることで、死にたい衝動を誘発されてしまうのではないか、報道が最後の一押しになってしまったケースもあったのではないかと思い、メディアに恐怖を覚えました。

 そのように様々な問題意識を抱える中で大学生になり、保守系雑誌を読んでみたら、右左のイデオロギー対立の話や憲法の話、メディア批判などが書かれていて、とてもしっくりきたのです。

──『Hanada』は右翼雑誌のように見られていますが、花田編集長は面白い雑誌を作りたいだけであると書かれています。

梶原:花田さんは、ああした雑誌を20年やっているので、世間的には右翼の親玉のように見られています。今は坊主頭で目つきも鋭く、外見的な印象もあり、どこか恐そうな人に見えるかもしれませんが、私は花田さんのことをいわゆる右翼的な人だとは思っていません。

 むしろ右翼でないのに、そのように見える雑誌を作っていることが問題だと思うのです。花田さん本人も、自分たちを右翼風に見せようとは思っていないのに、世間からそう見られていることを不本意に感じています。

月刊『Hanada』の編集長を務める花田紀凱(写真:共同通信社)月刊『Hanada』の編集長を務める花田紀凱氏(写真:共同通信社)