戦争はないかもしれないが・・・

 もちろん、トランプが戦争を選ぶことは考えにくい。

(もっとも、政治指導者が何らかの事件をきっかけにそれまでの印象とは異なる行動を取ることはあり得る。例えば、「9・11」の前のブッシュは進んで行動することのない孤立主義者だと受けとめられていた)

 それよりも可能性が高いのは、関税の引き上げに諸外国が手に負えないほど激しい反応を示したり、景気が過熱しすぎたり、トランプが友人を厚遇する一方で政敵を迫害しようとするせいで合衆国憲法が軋んでしまったりすることだろう。

 少なくとも公的債務、都市部の貧困や不衛生をはじめとする米国の諸問題がテクノロジーやリバタリアニズム(自由至上主義)に基づく対策になじまないことが明確になれば、政権内で内輪もめが生じるだろう。

 これからやって来る混乱がどんなものであろうと、8年前に比べて際立っているのは、混乱に対する心配が相対的に欠如していることだ。

 2025年のリベラル派の路線は以下のような感じだと思われる――前回はトランプのことでパニックになりすぎたから、今回はその過ちを繰り返さないようにしよう。

 この提案の前半も後半も、少し考えれば間違っていることが分かる。

 まず、2度の弾劾裁判――そのうちの1つは、選挙結果を覆そうとしたことによるものだった――など重要ではないとされない限り、パニックになるのも無理はなかった。

 それに、たとえ1期目がそれほどひどくなかったとしても、2期目も同じだろうとどうして想定できるのか。

 トランプとMAGA運動は、以前よりもはるかに深刻にとらえるべき存在になっている。

 大統領就任演説は、そのビジョンにおいても表現においても侮りがたいものだった。