(英フィナンシャル・タイムズ紙 2025年1月23日付)

マイアミ空港に到着しタラップを降りるトランプ大統領(1月25日、写真:ロイター/アフロ)

 ウエスト・ハリウッドの街中では反ドナルド・トランプの落書きさえ少なく、生ぬるいものになっている。

 8年前のカリフォルニアは「レジスタンス」の州だった。2025年の訪問者が体感するムードは別物だ。

 あきらめた、その話はもう飽きた、自業自得だ――思慮深い民主党支持者の間にはそんな態度が広がっている。

 そして時折、規制緩和を掲げる大統領の下で米国経済の潜在力がどうなるかという、好奇心に近いものが見られることもある。

あきらめムードに潜む危険

 リベラル派の大困惑が続いている。

 トランプが11月の大統領選挙で勝利をもぎ取って以来、世界中で進行中だ。無理もない。誰だっていつまでも怒っているわけにはいかない。

 20世紀の欧州に現れた独裁国家では、善悪を判断できる反体制派の人々は「内的移住」なるものにいそしむことが多かった。

 周囲の政治状況の悪化を受けて、逃げ出したり戦ったりするのではなく私生活に閉じこもるということだ。

 このように世間と自分を切り離すのは賢いやり方であり、決して弱虫ではない。

 ただ、やり過ぎてはいけない。注意するのはそれだけだ。

 筆者が思うに、リベラル派は選挙の現実を良識的に受け入れるあまり、トランプ政権の2期目はそれほど悪いものにはならないだろうと期待するようになっている。

 それは勘弁願いたい。

 1期目にはトランプの衝撃を和らげる要素が3つあった。2期目はそのいずれも効いていない。

 まず、1期目のトランプは再選されたいと思っていた。だから中道の有権者をある程度挑発しても、それ以上は踏み込まなかった。

(昨年夏に、わずかに神権政治的な政策案「プロジェクト2025」について自分とは関係ないと断じたときのスピードには、短気な性格だと一般に思われているこの人物が、いたずらに不人気度を高めることは避けたいと思っていたことが表れていた)

 大統領の多選を禁じた合衆国憲法修正第22条に何かが起こらない限り、今日のトランプは選挙政治に内在する規律に縛られない。

 中間選挙さえほとんど重要ではない。トランプの後継者争いがその直後に始まるからだ。2期目の大統領の任期は実質2年だ。