細かいことを気にしない図太い男、マジメなどくそくらえの「やんちゃ」な男、がさつで不良に見せたがる演出を、桑田は嫌っているように見える。自分で自分を律することができる男なのだ。

 こういうエピソードもいい。

 小学校の頃、女子と喧嘩したときに、母親から「卑怯者!」と言われた。それ以来、「卑怯なことだけはいけないと心に深く刻んだ」。

 野球のヤジも嫌い。いじめは「絶対にしてはいけない」。子どもたちにもそのようにいい聞かせている。

 まちがっても、いじめられるよりは、むしろいじめる側になったほうがいい、と考えて、ケンカのしかたを教えるような愚劣な父親ではなかった。

「男はつらいよ」の「寅さん」みたいに、「よお、相変わらずバカか」といった、なんの作意もない身に沁みついた職人言葉ならいいのである。

 しかしテレビを見ていると、お笑い芸人たちがグルメや街ブラのVTRを見ては、「ああ、これは食いてえなあ」「すげえなあ」「やべえなあ」と意図的に、伝法な、ちんぴら口調でいったりする。

 これが耳障りになってきた。

 本来、わたしにとっては、「うめえ」だの「きたねえ」だの「メシ食いに行くか」という言葉は自然なのである。親しくなると、相手を「おまえ」というのもきわめて普通である。当然、友人から「おまえ」といわれても平気だ。

 しかし年を取るにつれて、自分を実体以上に(あるいは実体以下に)見せたがるがさつで汚い言葉遣いが嫌になってきた。これ聞えよがしにそんな言葉を遣う連中も好きではないし、聞きたくもないのである。

 わたしも桑田真澄に倣って、できるだけ丁寧な言葉を遣おうと気をつけるようになった。親しい友人や女の人に、「おまえ」というのも止めようと思った。

 油断すると、いまでもすぐに「きたねえ」とか「うるせえ」などといってしまうが、それはもうしかたがない。それでも桑田真澄にはひとつ、大切なことを学ばせてもらったと思っている。